書評:スコット・ジェイムズ『進化倫理学入門』

【以下は、アマゾンのカスタマーレビューに書いたものの転載です。】

「道徳性」はここ半世紀ほどの間、心理学、認知科学、神経生理学、進化生物学、動物行動学などの自然科学の分野で盛んに研究されているテーマの一つであり、そこでは次々に新しい興味深い成果が得られている。そしてそれらの研究成果は単に学問的興味以上の大きな重要性を持っている。というのも文化や宗教によって著しく異なる道徳的判断が現在、世界中で様々な軋轢と争いを生じさせているからである。そのため一部の科学者は宗教を強く批判し、合理的な人間ならばおよそ誰もが同意する事実を提供してくれるもの、すなわち科学こそが道徳に関する権威を持って、道徳の衝突の問題を解決する責任を担うべきだと主張する。特に2001年の同時多発テロ事件以降、宗教を批判する科学者の声は大きくなっている。他方、科学は事実を明らかにすることには長けているが、人がいかに生きるべきかについて考えるのは科学の領分ではない、と主張する科学者もいる。


道徳性についての新しい科学的知見、そして科学と道徳をめぐる近年の議論に対して、伝統的に道徳性を中心的なテーマとしてきた学問、すなわち倫理学はどのようなスタンスを取ればよいのだろうか。「科学と倫理は別物」と決めて科学と距離を取るか、「倫理学のやることはもうない」と考えて転職するか、科学の成果を自分たちの仕事に取り入れつつ科学がまだできないと思われることをやるのか。いずれの態度をとるにせよ、真剣な議論に基づいた正当化が必要であろう。そしてそのためには科学が私たちの道徳性について何を教えてくれるのか、それが倫理学にとってどのような関連性を持ちそうなのかを知らなければならない。そのための好適な入門書が本書である。本書は特に進化生物学に焦点を当てて(ただし発達心理学、社会心理学、ゲーム理論などの分野の研究も紹介される)、近年の科学的知見とそれが倫理学に対して持つ関連性についての丁寧かつ明瞭なガイドを提供する。


本書の第I部で著者は予備的な知識として、進化論についての基本と、倫理的判断の持つ特徴について説明した後で、倫理的な判断ができることがどのような利点を人間にもたらしたかについて考察する。そして人類の進化において、「倫理的に考える」という能力・傾向がいかなる生存価をもっていたのかということを説明するシナリオが提示される。簡単に言うと、身近にいる他者を助ける行為を導くような思考・判断ができる人間は、自分と近い遺伝子を持つ個体と協力しあうことができ、それゆえ協力しあうことができない個体よりも多くの子孫を残すことができたのだ、と著者は論じる。ただしそういった能力・傾向がどの程度、生得的なものであり、それゆえ普遍的なものであるか、という点についてはまだまだ議論の余地がある、と著者は注意する。

第II部はより哲学・倫理学の専門家向けに書かれており、近年、道徳哲学・倫理学の分野において盛んに論じられている二つの主題が取り扱われる。一つは道徳性の進化的起源についての事実が、私たちのなすべきことについての議論に何らかの影響を与えるか、という問題であり、有名なヒュームとムーアの議論が検討される。もう一つは道徳性の進化について判明してきた事実が、道徳的判断の客観性や実在性について投げかける疑問である。もし私たちの道徳的判断が、人間が生存し繁殖する上で利点を持っていたために発達したものであるとするならば、道徳的判断を真にする客観的な「事実」が世界のどこかにあるということは疑わしく思われるのである。第II部の後半ではこの問題についての何人かの哲学者(著者自身を含む)の見解が紹介される。

本書の全体を通して印象的なのは、性急に結論を出そうとせず、特定の立場に肩入れするのでもない著者の姿勢である。著者は現在分かっていること、そこから立てられそうな仮説(あくまでも仮説)、まだ分かっていないこと、各々の主題についての様々な研究者の見解、それらの見解にとって乗り越えるべき課題などを可能な限り明確にしようとする。進化論なんか倫理には関係ないよ、と思っている倫理学者もきっと大きな知的刺激を受けるだろう。またローカルな道徳同士の衝突が深刻な問題を引き起こしている一方で、進化論を盾にした安易な宗教批判、科学至上主義、いまだに根強い社会的ダーウィニズムがはびこる現代の社会において、道徳について冷静で建設的な議論を促進するために、科学者にも哲学者にも読んで欲しい一冊である

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