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レビュー:長谷敏司『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』

コンテンポラリーダンサーの護堂恒明は交通事故で大けがを負い、右足を失う。一時は絶望した恒明だが、同じダンスカンパニーに所属し、エンジニアでもある谷口から、AIで制御される最先端の義足を勧められて、ダンサーとしての復帰を目指す。谷口はロボットと人間が共演する新しいダンスの舞台を作りたいと考えており、恒明と共に新しいカンパニーを立ち上げる。谷口は単に人間の考えた振り付けをロボットが演じるのではなく、AIが生成する振り付けをロボットと人間が躍るという新しい形のダンスを作り出すことを考えていた。生身の肉体、AIに制御される義足、振り付けを生み出すAI、そしてロボット。まったく異なる身体性と知性をもつ異種同士の協働によって観客を魅了するためには、「人間性を伝えるプロトコル」を見つけ、それを実現することが重要だ、と谷口は説く。こうして人間のダンサーは恒明だけ、あとはエンジニアとロボットというカンパニーが、誰も踊ったことがないダンスを作り出すプロジェクトを開始する。

恒明はリハビリ、AI義足への順応、人間性のプロトコルの模索に苦闘するが、そんな折に父であり目標とするダンサーでもある護堂森もまた自動車を運転中に事故を起こして重傷を負い、同乗していた母親は死亡する。さらに父親は事故の後から認知症を発症し、恒明には父親の介護の負担と経済的な不安、そして父子のディスコミニケーションの苦悩が重くのしかかる。ダンスがすべてだと思っていた恒明は、それを支える基盤がいかに脆く崩れやすいものだったかを思い知らされる。先の見えない苦しみの中、しかし恒明は少しずつ新しい義足、新しいカンパニー、新しい恋人、衰えた父親との関係を構築していく。

人間とAIやロボットとの「共生」というテーマは多くの技術者や作家が取り組んでいるが、ダンサーと義足との間の関係でこのテーマを描くのはすばらしい着想だと思った。長谷敏司は『あなたのための物語』や『Beatless』では人間とは独立した個体性を持ったAI、ロボットと人間との関係を描いてきたが、相互に依存して一つの身体、一つの動作・行動を形作る人間と義足、さらには協働して一つの舞台を作り上げるダンサー、義肢、ロボットたち、技術者、観客との関係に焦点を当てた本作は、共生という言葉の深みと重みを一層感じさせる。

またハードウェアやソフトウェア以上に、コミュニケーションのためのプロトコルに焦点を当て、そこに人間性の一つの根源を見出したところも斬新だった。プロトコルというと主に言語などで明示化された規則と捉えがちだが、身体的な制約、本能的な感情や認知といったものも含めてプロトコルと表現しているのも興味深い。またプロトコルは一般的で共通の土台でも、それを通じて行われる行為はそれぞれの経験や肉体や記憶に根差した固有のものであり、普遍性と固有性がまじりあってコミュニケーション・関係ができているということが描かれているところに、他には置き換えのできない儚さと貴重さが感じられた。

本作でもう一点、印象的だったのはテクノロジーに対する本書のスタンスである。恒明の父はロボットのダンスに対して強く否定的な言葉を口にする。谷口たちはそれに反発を覚えながらも真摯に受け止め、欠点を克服しようと努力し、成果を得る。ここからは一見克服不可能と思われるような欠点があっても、開発者の努力によってテクノロジーを(あるいはテクノロジーと人間の関係を)より良いものにしていくことができるという作者の信念を伺うことができる。その一方で、肉体や脳の衰え、そして死という人間にとって最も根本的な悲劇はテクノロジーがどれだけ発達しても避けられないという諦観も見られる。そして何より先端テクノロジーの恩恵に預かることができるのは一部の、それに対する対価を支払うことができるものだけという身も蓋もない社会がこの作品では描かれている。動作だけなら人間以上に踊れるロボットが作られている一方で、最高のコンテンポラリーダンサーである恒明は救急車を呼ぶ費用も心配しなければいけない。テクノロジーが発達するだけで自動的に豊かな社会が実現するわけではない。テクノロジーの進歩を信頼しつつ、手放しで歓迎するわけではない作者のこの姿勢は、とても重要だと思う。


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