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『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第17話)

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 秋乃さんの献身的な看病のおかげで、わたしは一週間ほどで床上げをすることができました。
 わたしの健康回復を祝おうと、秋乃さんの発案により、武雄兄も一緒に三人で、可部かべへハイキングに出かけました。三入みいり高松城跡などをゆっくりと歩きながら、いろいろおしゃべりに興じました。
 もっとも、話すのはもっぱら秋乃さんとわたしでしたけれど。
 郊外を歩くのが、こんなに気持ちいいものとは知りませんでした。
 命の洗濯という感じがしました。うーんと思い切り両手を真上に伸ばして見上げると、潤みを帯びた青い空がわたしに微笑みかけるようでした。
 桜の花はすっかり散り果てて、葉桜が風にそよいでいます。
 それから、わたしの大好きな椎の若葉も萌え始めていました。
 薄緑というより黄色に近いその若葉は、まさに光がしたたるかと見えたのです。
 
 兄は秋乃さんのお父様からお借りしたドイツ製のカメラを、大事そうに両手で持っていました。
 誰も頼んでいないのに、兄が長広舌ちょうこうぜつをふるって解説してくれたところに拠ると、それはドイツの〝カメラ・ウェルクシュテーテン・グーテ&トルシュ〟という会社が製造した〝パテント・エツィ〟というカメラなのだそうでした。
 大正九年に売り出されるや否や、その画期的な薄さから、世界中で称賛されたのだそうです。
 確かに、ちょっと厚めの岩波文庫程度の黒い箱をぱちんと開けると、たちまち精巧極まりない一個の蛇腹カメラになる様は、まるで手品でも見ているようでした。
 男の人というのは、こういう玩具を与えられると、まるで小さい男の子が甲虫かぶとむしでも手に入れたみたいに夢中になってしまうものですが、この日の兄も例外ではありませんでした。
「武雄さん、そんな山の木ばかり写したって面白くないことよ。フィルムの無駄だわ。それよりわたしの可愛い妹を撮ってくださらない?」
 秋乃さんが笑いながら、わたしの背に両手を添えて、兄の方へ押しやりました。
「シメ子を撮る方が、フィルムの無駄じゃろう」
「あら、憎らしいお兄さんね。いいわ、シメ子さん。こんな薄情な人は放っておいて二人でいいところへ行きましょう。ね!」
 秋乃さんはわたしの腕を取ると、兄の方へはしかめっ面でぺろっと舌を出し、本当に兄を置いていきそうな素振りを見せるのです。
 すると兄は大慌てで、
「わかった、わかった。二人を撮るけぇ、そこに立ってくれ」
 と哀願するように言いました。
「あら、違うのよ。二人じゃないの、シメ子さんだけを撮るの」
「わたし、一人で写るなんて恥ずかしいわ。お義姉ねえさんも一緒に撮って」
「ううん、シメ子さんだけを撮るのよ。よくって? 武雄さん」
 兄も秋乃さんには逆らわない方が得策だと思ったのか、
「わかった。じゃあ、シメ子こっちに立て」
 とわたしを手招きしました。
「そっちに立ったって何の背景もないでしょう。もう、頼りにならないったらありゃしない。仕方ないわね、わたしが映画監督になってさしあげるわ」
 秋乃さんはきょろきょろ辺りを見回すと、あれがいいわと呟いて、わたしを道のかたわらの石の道標のところへ連れていきました。
「そう、軽く前屈みにりかかるの。腕は石の上に置いて、組んだ手の上に顎を載せる感じ。うん、上出来よ。で、ちょっと小首を傾げるように笑って。武雄さん、何をぼうっとしてらっしゃるの? 違うわ、こっちから撮るの。シメ子さんはね、ちょっと右側から撮る方がきれいなのよ。お兄さんの癖にそんなこともわからないのかしら」
 とてもにぎやかな監督さんでした。
 兄は監督の忠実なカメラマンに甘んじて、命令された通りにわたしを撮りました。
「シメ子さんって、本当に美人ね。女優さんみたい。わたし、この写真をお友達に見せて自慢してやるの。これがわたしの妹よって」
 秋乃さんが大真面目な顔でそんなことを言うので、わたしは撮影の間ずっと、くすぐったいような気分でした。
 
 でも、そうして出来上がった写真は確かによく撮れていたのです。
 写真の中の〝わたし〟は、何の曇りもない表情で笑っていました。
 これはとりとめのない空想なのですが、宇宙の何処どこかに、自分のいる世界とよく似た、もう一つ別の世界があるような気が、わたしにはするのでした。
 そしてあの一葉の写真は、この世界にいる自分ではなく、別の世界にいる〝わたし〟なのです。
 別の世界の〝わたし〟は、毎日当たり前に学校に通い、帰りには先生に見つからないように、お汁粉屋でお友達とおしゃべりに興じます。家では甘えん坊で、我儘わがままばかり言っているのですが、皆にかわいがられています。
 女学校を中退して女給になることもなければ、男に手籠めにされることも、過労で床に臥せることもありません。
 上京した後、わたしは折にふれ、あの懐かしい写真を取り出しては眺めました。
 それは広い宇宙のどこかに存在する――いえ、存在してほしいとわたしが一筋の祈りのように願う、もう一つの世界の〝窓〟だったのかもしれません。



長篠康一郎『太宰治七里ヶ浜心中』(広論社、1981年)より

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