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『太宰治は、二度死んだ』――あとがき:フィクションと事実の狭間で(八)
本編『太宰治は、二度死んだ』(全30話+エピローグ)の「あとがき」エッセイ(八)です。
この長~い長~い「あとがき」もついに最終回を迎えました。
最後に、私の本編と資料の関係――つまり、伝記的事実と小説の関係について、まとめておきたいと思います。
田辺あつみの伝記に関しては、現在までのところ長篠康一郎『太宰治七里ヶ浜心中』の中の「田部あつみの生涯」が殆ど唯一の資料ですので、当然これに拠りました。
ただ、長篠氏の記述方法もかなり小説的なところがあり、どこまでが伝記的事実として正確なのか、ちょっとはっきりしないところもあります。
そこで私は、長篠氏の著作を基に〈田辺あつみの履歴書〉的なものを作成し、そこに人物像やエピソードを肉付けしていく方法を採りました。
私が長篠氏の記述として一番納得できなかったのは、あつみとその同棲相手である〈高面順三〉(私の本編では〈高林順蔵〉という名に改めました。〈順蔵〉の人物像は、わたしの完全なフィクションであることをお断りしておきます)の関係がかなり良好だったように書かれているところです。
高面順三が新劇の俳優を目指し、あつみを伴って上京したものの、まともな仕事に就かず、実質的にあつみのヒモになっていた事実がある以上、その関係が良好であったとは、私にはどうしても信じられなかったのです。
また、太宰の『魚服記』の〈スワ〉と田辺あつみの関連性は、以前から指摘されていたものなのですが、私は〈スワ〉が〈犯される〉存在である点に着目しました。
心中の前に、あつみは太宰に自分の過去を語っていたのではないか、あつみの過去が〈スワ〉の物語に昇華したとするなら、それがあつみとその同棲相手だった男性との関係性をも反映しているのではないかと私は想像(妄想?)したのです。
太宰治――当時は一介の帝大生・津島修治でした――が、その若き日の姿は井伏鱒二や檀一雄、森敦等の著作を参考にしました。具体的には本編「エピローグ」にある、「テクスト及び参考文献」を御覧下さい。
それから〈山本和夫〉さんは、100パーセントわたしが創作した人物です。ただ、長篠氏の著作が出る以前から、あつみが同棲していた男性は〈貧しい絵描き〉だという説があったのは事実で、それがヒントになって、画学生・和夫さんのイメージが頭に浮かびました。
――今日は奇しくも、田辺あつみさんの月命日です。
目を閉じると、小動崎の畳岩――あつみさんが僅か十七年の、短くも鮮烈な生涯を閉じた岩に打ち寄せる波の音が、私の耳の底に鳴り響くような気がします。