【歿後120年】ドヴォジャーク2:畢生の名作「第七」三撰と「フス教徒」
彼アントニーン・レオポルト・ドヴォジャークという人の「劃期」たるや概ね十年単位にて巡るように思えるのであるが、一番、二番の交響曲をものしたる1865年よりの凡そ十年を、彼アントンはヴァグネリアンとして送りつつ、なれど作曲家としては今一つ成功を勝ち得るには到らず、謂わば「雌伏の時」たるとて忍従を強いられる。それでも斯く十年にて、筆者は駄作と看做す三番、加えて初期の彼にてや漸々「ヴァーグナーが影響」より脱しつつあるやの四番たる二つの交響曲にてハプスブルク・オーストリア政府が奨学