ぺぐー
「最近寒くなってどうしても手足が冷えてしまいますね。そこで皆さんには正座をしてもらって、私がその太ももとふくらはぎの間に冷たい手を入れますので、皆さんは『ひゃっ』などと可愛らしい悲鳴を上げてください」
司会である歌丸師匠の、明らかにいつもとは違っている出題に、解答者側の笑点メンバーの顔には戸惑いの色が浮かんでいた。ちらちらと横に並ぶ他の解答者に視線を向ける笑点メンバー。観客席からはじわじわとざわめきが湧き出てくる。
そんな中、すっと静かに手を上げる一人の笑点メンバーがいた。
「はい、円楽師匠早かった」
指名された円楽師匠――昔から笑点を見てきた人には「楽太郎」という名前のほうが馴染み深いだろうか――は床に正座していた足を崩し、薄紫の着物の裾をするするとたくし上げはじめる。彼は前回の大喜利でいつものように歌丸師匠と罵倒合戦を繰り広げ、座布団を全部取り上げられていたのだ。ゴルフを嗜むという円楽師匠のしなやかな足が次第にあらわになっていく。床と擦れ合う生身のすねやひざ、そこにはほのかな痛々しさが、同時ににじみ出るような色気が感じられた。
観客席では息を呑む音とため息をつく音が交錯していた。笑点大喜利で罵倒合戦を繰り広げていても、歌丸師匠と円楽師匠が懇意な間柄であることは周知の事実である。司会席から立ち上がり、しずしずと円楽師匠の元へと向かう歌丸師匠に、観客席からのざわめきがいや増していく。
いくぶん崩した正座をする円楽師匠の足元に、歌丸師匠が膝をつける。円楽師匠のむき出しになったひざの下に、歌丸師匠の年輪を重ねた手が伸びていくと、観客席からのざわめきは止み、ただ息をつめている気配のみが辺りを満たした。
「ひゃうっ」
その可愛らしい声が円楽師匠の口から漏れたものだとは、にわかには信じられなかった。歌丸師匠の手が思ったよりも冷たかったのだろう。司会席の陰に氷水の入った洗面器が置いてあることを、その隣に座る三遊亭小遊三が気づいていた。大喜利にかける歌丸師匠の本気具合が垣間見られる一幕である。
はっと気づいた円楽師匠が、うっすらと頬を染めながら歌丸師匠から顔を背けるようにして目を伏せる。その恥ずかしげな様子に、他の笑点メンバーは見てはいけないものを見たような気持ちになり、円楽師匠と同じようにうっすらと頬を染め、しかし客席からの注目を浴びている二人からは各々目を逸らした。
おもむろに歌丸師匠は、円楽師匠の太ももとふくらはぎに挟まれていた手を抜いた。円楽師匠の口から「ふっ」と微かな息がもれる。歌丸師匠はその手を一瞬だけ見つめ、軽く咳払いをすると、「山田くん、円楽師匠に一枚」とまるで何事もなかったかのように座布団運びの山田くんに声をかけた。
歌丸師匠が司会席に帰りかけるときになって、ようやく観客席からぱらぱらと拍手が上がった。戸惑い混じりのその拍手は、だが次第に大きくなり、背徳的な歓びの色が混じり出し、やがてそれは劇場中を満たすのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?