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雨男・雨女と、足の小指をぶつけること

こんにちは。
大宮みなもです。

私の相方が「自分は雨男だ」と信じて止みません。

私は、そういう類のことは全く信じないので、「単なる偶然だ」と言い張っているのですが、相方は、出かける予定日の天気予報に雨マークが出る度に「・・・ほらね?」と勝ち誇った顔をするのです。

でも、その地域に住んでいる人全員に平等に雨は降るわけで、雨男に科学的根拠なんかあるわけないのです。

しかしながら、昔から雨男・雨女という言葉が普通に使われているのも事実。

では、雨男・雨女と言われる、または自分がそうだと信じている人はなぜそのように思うのでしょうか。

私なりに調べてみたところ、
主に心理的要因によるものが大きな理由となっているようです。

【理由その1  確証バイアス】

確証バイアスとは、仮説や信念を検証する際に、肯定的な情報ばかりを集め、反証する情報を集めようとしない傾向のことを言います。

大切な予定の日に雨だった経験が何度か続くと「自分は雨男・雨女なのでは?」と思うようになり、それを証明しようと「大切な予定の日に雨が降った」ことを強く記憶に残すようになるのです。

一方で「大切な予定の日に晴れた」こともあるはずなのに、それは「自分が雨男・雨女である」という仮説を否定する結果となるため、無意識に記憶に残らないようにしていると考えられます。

こうしたことが重なり、「大切な日に毎回雨になる=自分は雨男・雨女だ」という確証が生まれます。

【理由その2  エピソード記憶】

とても楽しみにしていた日や、自分にとって大切な日であるほど、その時の記憶は強く残ります。

これは「エピソード記憶」と呼ばれ、出来事の内容だけでなく、それに関連する様々な付随情報(周囲の環境、時間・空間的文脈、またその時の自分の身体的・心理的状態や感情など)と紐づいて記憶されるためです。

つまり、喜怒哀楽の感情を揺さぶる記憶は定着しやすく、さらに雨や晴れ、寒い・暑いなど、その瞬間の環境と結びつくことで、より一層強い記憶となり定着するのです。

「足の小指をぶつけること」も同じ原理

足の小指って、よくタンスやテーブルの角にぶつけますよね〜。
ぶつけると、涙がちょちょぎれるほど痛いんですよね〜。

でも、よーく考えてみて欲しいんです。

足の小指って、そんなに「よく」ぶつけますか??
毎週、毎週ぶつけますか?(笑)

実は、よくよく考えたら、せいぜい年に数回くらいじゃないでしょうか?

でも、何故か足の小指って「よくぶつける」ってイメージですよね。
それは、足の小指をぶつけると、めちゃくちゃ痛くて、キョーーレツに記憶に残るからなのだそうです。

人間って、感情に左右されて、記憶する事実までも歪めてしまうんですね。


さて、これで、相方は、自分は雨男なんかじゃないと納得してくれるかな?(笑)

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