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考察:Web3 ① NFT考察 V0.1

NFTとは

NFT(非代替性トークン)の定義については、ググれば沢山解説があるので、ここではおさらいのように簡単にまとめてみる。NFTとは簡単にいえば、仮想通貨に使われた分散台帳方式の暗号化技術、ブロックチェーンによって作られた強度の高い暗号を、デジタルコンテンツに埋め込むことにより、データのオリジナリティを担保し、主に仮想通貨との価値交換を実現しようとする技術のことです。

無限に劣化しないで複製可能なデジタルコンテンツにオリジナリティ(単一性、所有性)を持たせることによって、資産価値があがり商品として流通可能になるわけです

複製可能芸術とは

デジタルデータによって作られた、絵画、写真、動画、音楽は、劣化することなく無限に複製可能です。しかし、そのような複製可能芸術は、デジタル時代以前から登場していました。

比較的初期にあったものとして、版画があげられます。リトグラフ、シルクスクリーン、木版画による浮世絵などがその代表でしょう。

リトグラフやシルクスクリーンには、何枚複製したかをナンバリングして、その番号まで複製したら、版を傷つけて複製不可能にすることによって、芸術作品としての希少性をたかめ、資産価値をあげています。

一方、リアリティの究極である写真では、フィルムを傷つけるようなことはしません。そのため、比較的安い金額で流通することが多いです。元になるフィルムやデータが撮影されてから間もないうちに制作されたプリントは「ヴィンテージ・プリント」と呼ばれるのに対して、作家の没後に著作権者の許可を得て制作された、作家自身の意図に沿うようプリントされたプリントには「エステート・プリント」という呼び名が用いられます。

写真のリアリティに対して、絵画が対抗することに無意味を感じて、印象派が生まれたのは有名な話です。写真では撮れないような表現を用いながら、写真でしか実現できなかった、フレーミングや明暗諧調化、背景をぼかしたような表現しています。

作品はいつから署名されるようになったのか

油絵をみたら、下の片隅にサインが入ってるものを見ることが多いとおもいます。日本でも掛け軸などに落款といわれる印がおされていますね。あれはいつからはじまったのでしょうか?NFTとは暗号による署名ですので、ここに歴史の原点があるわけです。

西欧において、作品に署名がされるようになったのは、ルネッサンス以降であり、本格的になったのは19世紀にはいってからのようです。実はそんなに古いものはないのです。

そこには「近代的自我」の目覚めというキーワードがあります。それまでは「宗教的な価値観」や「封建的な社会制度」というものによって縛られていた「個」というものが、「自我の解放」によって「個の独立」が叫ばれるようになったのです。

そのため、この作品はわたしがつくったものとして署名をいれるようになったと考えられているのです。それは、独創性、オリジナル信仰にとなって現在につながってます。

しかし、現代芸術ではすでに、その事に対して、違和感を提起するような作品がいくつも作られてきました。たとえば、マルセル・デュジャンとレディ・メイド 有名なものが、インテリアショップで男性用小便器をかってきて、それに署名をして作品として発表したものです。ピエロ・マンゾーニが、裸の女性に署名して、「生きる彫刻」として発表したものも同様です。

そもそも署名すれば、作品になるのか、議論が盛んになりました。

デジタル時代の盗用芸術

音楽の世界では、サンプリングマシーンといわれる、すでにある音を録音して、再構成して楽器として演奏ができるものが登場します。一般の音楽界では異端の楽器として、安売りされていたサンプリングマシーンを、お金もなく楽器が演奏できないミュージシャンがサンプリングマシーンを買い、持っているレコードをサンプリングし、フレーズや音に分解して、新しい音楽にかえました。ヒップホップとハウスミュージックです。これらの音楽は、現代ではFMラジオをつければ、耳にしない時はないでしょう。

楽曲をまるごとサンプリングしたら、それは著作権違反です。しかし、曲をどんどん細分化し、フレーズや1音だけにした場合、どこまでそれは作品なのでしょう。著作権を訴える場合には、オリジナリティがなければなりません。ありがちなフレーズ、ドラムのキック1音だけに著作権はありません。そうしてダンスミュージックは世界にひろがったのです。

一方、日本ではコミケにおける二次創作というものがあります。推しのマンガやアニメをもとに、BLものを作ったりするものです。コミケという閉じられたサブカルチャーのなかで許されてたかと思われた二次創作も、何億円産業となると、原著作者側が異論を唱えます。しかし、二次創作をしてる人は、その作品のファンでもあるので、二次創作できない作品には、そもそも読者がつかないという逆説的な現象が起きます。

思想家・作家の東浩紀は2001年の著作『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』において、従来の「オリジナルとコピー」の対立に代わる、「シミュラークルとデータベース」というものにかわり、設定やキャラクターは分解されてデータベースに登録され、再利用されていく社会になっていると述べています。

実際、ボカロPを中心とした、楽曲、歌声(Adoや初音ミクも含む)、MVのイラストやアニメーションなどは、そういうデータベースをSNSを通して利用されています。もしかしたら、ここに、クリエイティブ・コモンズのような緩やかな利用規約の宣言とあわせて、NFTで、自分の署名は残すけど、自由にカットアップ、サンプリングしていいよというのがこれからのスタンダードなのかもしれません。

坂本龍一にインタビューして聞いたわけじゃないですが、戦場のメリークリスマス1本ごとにNFTを埋め込んで販売した意味はこんなところの意味があるのかもしれませんね。

NFT作品の流通

NFT作品は基本的に、仮想通貨を使った売買が行われており、そのためには、仮想通貨取引所のアカウントを作成し、ウォレットを作成して、リアルマネーを仮想通貨に交換してから、NFTアートが流通してるプラットフォームにログインしてから、NFTアートを探し、購入する必要があります。

そもそもその手続きが面倒なのと、仮想通貨が乱立しており、逆方向、すなわち仮想通貨からリアルマネーへの交換に疑問符が湧く現在、所有しているNFTアートの資産価値があがったとしても、それが実社会の価値になるかといえばまだ疑問符です。

将来的には、乱立しているメタバースや、仮想通貨どうしの行き来、交換に一定のルールが醸成し、買った作品がどの仮想空間でも交換可能で、またリアルの世界とも価値交換できるようになる、またはメタバースと仮想通貨だけで、生活物資が手にはいるようにならないかぎり、キャズムの壁を越えることはない、アーリーアダプターの遊びでしょう。

結局、もりあがってるのは、先駆者としてうごいてるアーティストと、ベンチャー企業の資金調達と、ベンチャーキャピタルのグロース案件のリスク投資であり、裏にはフィンテックとよばれる金融系ベンチャーがいます。

すでにバブルは終わったといわれるNFT。あまり踊らされることなく、2番手3番手ぐらいで参加する人間が大儲けはできないでも、手堅くもうけられる、いつの社会もバブルとはそういうものなのかもしれません。

しかし、NFTとは、Web3の1つのキーワードとして生まれた。それは現代の失敗したといわれるWeb2.0社会への批評がある。一部のゲートキーパーの支配されたWeb2.0社会に対して、分散台帳方式の暗号化技術によって、その台帳を1つの巨大資本が支配する社会にしない仕組みは、注目すべきでしょう。

引用・参考資料

https://bijutsutecho.com/artwiki/122

https://artscape.jp/artword/index.php/%E7%BD%B2%E5%90%8D

https://fisco.jp/media/what-is-nft/

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