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第17回「つづく道」

 ここ数年、この時期は沖縄で過ごしていました。恒例の季節行事となっていた春季キャンプへの帯同は、2021年はお休みです。あるものがなくなるというのは、どうも心地よくはなく、一種の喪失感があります。
 第一線で活躍していたプロアスリートは、引退してどのように感じるのでしょうか。興味があります。昨日までの環境が大きく変わり、短期や中長期の目標が一度になくなるわけですから、さぞかし喪失感も大きいのではないでしょうか。一挙手一頭足が注目されることも、毎週歓喜の渦中に身をおき、自身の軌跡がランキングされることもなくなるのです。

 彼等、彼女たちに、戦いのない平和な日々が訪れるのでしょうか。それとも空虚な日々が訪れるのでしょうか。アスリートとしてのキャリアは終わっても一個人としてのキャリアは続きます。セカンドキャリアという言葉を耳にしますが、人生という一つのキャリアがまだ続いている元選手に、それはリスペクトを欠いている言葉のようにも思えます。彼等はその時期をどのように過ごし、「喪失」とどのように向き合っているのでしょうか。

 プロアスリートとしてのキャリアを終えた方の声に耳を傾けると、喪失との向き合い方を含め、色々なことを学べます。まずもって、その打ち込む姿勢は想像を絶します。背負った責任の大きさ、苦悩やこだわりも尋常ではありませんが、数々の成功を手にした人物は、例外なく実直に自分と向き合っていることがわかります。そして、自分を信じて歩みを継続しています。
 続けることほど難しいことはありません。言葉にするのは簡単ですし、大切だとよく理解している概念です。実際、僕にとっては最も苦手な行為の一つです。

 運も縁も、歩み続ける線上に現れるとのこと。成功者に訪れるターニングポイントは、どうやら思い続けた先に存在するようです。彼等はそれを知っているから、次の道でも同じように継続できるのでしょう。
 そして、何かをやりきったプロフェッショナルに、喪失感はないようです。一本の続く道をまだ歩んでいるからなのでしょう。都度、目前の課題をこなし続けているからに違いありません。過去の栄華にすがる事も、そこから離れたことに落胆する事もありません。
 ベストを尽くせば、イマを真剣に過ごしていれば、つまらない感情はわかないことを清々しい言葉から学びます。時々、過去に感傷的になりながら、何かを続けられたら、よいものです。

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