第2章 続 笠置シヅ子は釧路に来たのか?
1.道新釧路版に続報
2024年6月26日付の北海道新聞釧路版に「笠置シヅ子さん来釧の謎たどると ブギの女王『公演見た』続々」という記事が出た。執筆した佐竹直子記者から連絡を受け、さっそくデジタル版を確認した。5月29日付の記事に対する地元の反響は大きく、「見た」「聞いた」という情報が集まっている。浜中町の種市京子さん(89)は十條製紙(現日本製紙)の「娯楽場」の外で笠置シヅ子の歌を聞いた、釧路市の松葉憲二さん(90)は娯楽場での公演を見たと話している。それを裏付ける資料として、『十條製紙工場三十年史』が挙げられている。1952年と1953年に笠置シヅ子が公演したとあるという。また、釧路市の本間孟子さん(80)は1949年~1950年頃に市内末広町にあった映画館「釧路東宝」で笠置シヅ子の公演を見た、釧路市の野村良子さん(80)も「釧路東宝」で公演を見たと話している。
これだけの証言や資料もでてきたのだから、やはり笠置シヅ子が釧路で公演したのは間違いないだろう。では、それは何年何月何日のことなのか。
2.1949年の笠置シヅ子
前回の記事では、1949年に笠置シヅ子は北海道に来ており、8月15日と17日に小樽で、27日~30日と9月1日に札幌で公演したと明らかにした。小樽公演と札幌公演のあいだに空白の時期がある。北海道のどこかで公演していたにちがいない。また、小樽の前、札幌の後にも北海道のどこかで公演したのではないか。北海道に来るには青函連絡船に乗っただろうから、函館公演の可能性は非常に高い。また、帯広で公演していたなら、釧路で公演はしていないにせよ、足を伸ばした可能性もあろう。そこで、道立図書館で、当時の北海道新聞地方版をあさることにした。前回も書いたように、この時期はGHQによる出版物の検閲があった。検閲された新聞がアメリカに渡り、のちにマイクロフィルム化されたため、現在、道立図書館で閲覧することができる。
まずは、帯広版である。広告欄を見てみる。ところが、札幌版とおなじ広告が載っているではないか。札幌の松竹座や東宝のイベントを載せていて、当時の帯広から見に行く人がいたのだろうか。帯広や室蘭のイベントも載ってはいるが、札幌が中心である。「北海道新聞」という題字の下を見ると、「札幌」と書いている。当時は、帯広版を札幌本社が作っていたのだ。広告欄には期待できないと分かった。記事の方には帯広版もあるが、笠置シヅ子が来た証拠は見つけられなかった。
では、旭川版はどうだろうか。こちらは、旭川支社が作成している。広告も、旭川が中心である。8月の紙面を繰っていくと、見つかった。20日付の広告に「笠置シズ子と楽団クラックスタア 堂々の顔合せ 豪華夏の芸能祭 益田隆とその舞踊隊」と出ている。国民劇場で映画「大都会の丑満時」と23日から同時上演と予告されている。21日付、22日付、23日付、26日付にも広告が載っている。しかも、毎日デザインが変わる。劇場の力の入れ具合が伝わってくる。旭川国民劇場での公演は26日が最終日であった。
つぎに函館版も見てみる。函館支社が作成していたため、函館の広告が中心である。函館では、連絡船を降りてすぐに公演した可能性と、連絡船に乗る直前に公演した可能性がある。まず7月後半から8月前半の紙面を確認する。笠置シヅ子関連の広告も記事も見当たらない。9月を確認すると、こちらはすぐに見つかった。1日付の広告に「おなじみ ヴギの女王笠置シズ子 公劇 秋の芸能祭 9月2日より4日間」と出ている。2日付にも広告が出ている。公劇は「公楽映画劇場」の略称らしい。『函館市史デジタル版』には「全席イス席で、実演にも映画にも対応できる広い舞台が備わっていた」とある。前売り券は100円だった。毎日3回公演、それを4日連続でこなすのだから、芸能人も大変である。旭川版と同じデザインの広告がないことにも感心させられる。
当時の道新には青森版もあったため、こちらも確認したが、函館支社が作成しており、広告は函館のものばかりだった。記事には青森の欄もあるのだが、こんな新聞が当時、青森県で売れていたのだろうか。
3.まとめ
1949年の笠置シヅ子の足取りは以下の通りである。
8月1日まで…東京有楽座でエノケン劇団公演。
8月15日、17日…小樽電気館で公演。
8月23日~26日…旭川国民劇場で公演。
8月27日~30日…札幌松竹座で公演。
9月1日…札幌松竹座で公演(東邦生命主催)。
9月2日~5日…函館公楽映画劇場で公演。
小樽と旭川のあいだが空いているのが気になる。しかし、当時の道新は、札幌本社、旭川支社、函館支社、釧路支社の4つが広告欄を作成していたと判明した。新聞広告から探しても、それ以外の地域のイベントはなかなか見つけづらい。全地方版の一般記事を隅々まで確認する、道新以外の新聞を確認するなど、別の手法を使った方がよさそうだ。また、札幌版、旭川版、函館版の広告欄でそれぞれ大きく取り上げられていること、そして釧路版の広告欄の沈黙ぶりからすると、1949年の釧路公演はやはりなかったのではないか。8月に娯楽場や釧路東宝でどんなイベントをしていたのか調べたい。
笠置シヅ子来釧の謎は引き続き追う。次回は、1948年の笠置シヅ子について。
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