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地方史をつむぐ

北海道で地方史研究。

『BYWAY後志』第29号発売 「北海道浜ことば」を完全収録

 2024年春、余市町在住の方言研究者、見野久幸さんからメールが来た。方言を歩いて調査していた頃のメモを全24話にまとめ直したので、週末に2話ずつ送りたいが、かまわないかという。私と見野さんは、小著『地方史のつむぎ方』のインタビューで会った2022年からの縁なので、それほど古い付き合いではない。しかし、ともに、足を使って人に会って、その結果をまとめるという仕事をしてきたこともあって、話題が合う。ぜひ送ってくれとお願いした。    初回に送られてきたのは、「『あずきまま』と『お

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北海道科学大で講演「地方史をつむぐ」

 12月6日(金)に北海道科学大学で「地方史をつむぐ」と題して講演します。一般市民の参加も募集しています。無料ですが、リンク先参照のうえ、事前申込をお願いします。学生優先のため、一般枠は20人とのことです。 https://www.hus.ac.jp/news/detail/2a7ff3114434ee47acc89244ce9a70d2ee7985c5-18780/    1月に発刊した『地方史のつむぎ方』の「おわりに」に書いたように、私が地方史研究の指南書を構想したきっか

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歴史資料としての掛川写真

 2006年4月、私は宮城県から北海道寿都町に転勤した。寿都は北海道南西部に位置する海沿いの町で、明治から大正にかけてニシン漁で栄えたが、私が赴任したときには、人口は4000人を割り込み、繁栄は過去のものとなっていた。そんな町の歴史に私は興味を持ち、お年寄りに昔話を聞いたり、資料を調べたりするようになった。そして出会ったのが掛川源一郎さんの写真集『gen』(2004年)である。  『gen』には、寿都の写真が4枚載っている。  1枚目は寿都小学校運動会の後片付けを写す。この

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元会津藩士の書翰を翻刻出版

 『岩内町郷土館蔵 簗瀬家文書 簗瀬真精書簡集 独見集』が送られてきた。編著者の見野久幸さんは北海道方言や余市・岩内の歴史を在野で研究してきた方で、小著『地方史のつむぎ方』にも登場していただいた。歳をとって、足を使う方言研究は難しくなり、いまは古文書の翻刻が中心になっているとおっしゃっていた。そのとき、例に挙げていた初代岩内古宇郡長の簗瀬真精が残した『独見集』の翻刻がとうとう終わったのだ。  そもそも簗瀬真精とは誰か。1838年(天保9)に岩代国(今の福島県西部)に生まれた

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釧路ブギウギ

ブギの女王、笠置シヅ子は釧路に来たのか?

第12章 1949年8月、釧路ではどんなイベントがあったか?

1.はじめに  1949年8月に笠置シヅ子は北海道各地を公演にまわっている。その動きは、道新各地方版などを追うことにより、以下の通りだったことが判明した。    8月1日まで…東京有楽座でエノケン劇団公演。  8月15日、17日…小樽電気館で公演。  8月23日~26日…旭川国民劇場で公演。  8月27日~30日…札幌松竹座で公演。  9月1日…札幌松竹座で公演(東邦生命主催)。  9月2日~5日…函館公楽映画劇場で公演。    1949年に笠置シヅ子が書いたというサインが

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第11章 1952年、笠置シヅ子の北海道巡業

1.はじめに  笠置シヅ子は1952年にも北海道に来ている。北海道新聞釧路支社版と札幌本社版に広告が載っていたことから、その事実は分かった。「第6章 続 笠置シヅ子は釧路に来ていた」に書いた通り、この年、笠置シヅ子は6月19日に釧路、22日から24日に札幌で公演している。しかし、1953年とおなじく、道立図書館の改装工事のため、函館支社版や旭川支社版のマイクロフィルムの閲覧ができなかった。12月1日に閲覧制限が解除され、両支社版を確認したところ、さらに詳しい足取りが掴めた。

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第10章 1953年、笠置シヅ子・服部良一らの北海道巡業

1.道立図書館の閲覧制限なくなる  1953年の夏、笠置シヅ子は、淡谷のり子・渡辺はま子らとともに、「服部良一2000曲作曲記念公演」の北海道巡業を行った。    2024年5月29日付の北海道新聞釧路版で紹介された笠置シヅ子一行の写真をきっかけに、過去の新聞を調べ、彼女らがやってきたのは1953年であること、7月1日の函館公演を皮切りに遠軽・札幌をまわって釧路にやってきたこと、14日に釧路東宝で、15日に十條製紙工場で公演したことが明らかになった。「第5章 笠置シヅ子は釧

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第9章 石川啄木と服部良一

 1953年7月14日に釧路東宝で「服部良一作曲2000曲達成記念公演」が開催された。1回目10時~13時半、2回目14時半~18時、3回目19時~21時半と3回もの興行が行われる慌ただしい日であったが、その合間に、服部良一らが米町の石川啄木歌碑に足を延ばした。かつての啄木の恋人、近江ジンを囲んで笠置シヅ子・服部良一らが撮影した写真が市内の寺に残っている。それを報じた2024年5月29日の道新記事をきっかけにこれまで調べてきた結果、来釧の日付も理由も明らかになった。また、当時

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