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元会津藩士の書翰を翻刻出版

 『岩内町郷土館蔵 簗瀬家文書 簗瀬真精書簡集 独見集』が送られてきた。編著者の見野久幸さんは北海道方言や余市・岩内の歴史を在野で研究してきた方で、小著『地方史のつむぎ方』にも登場していただいた。歳をとって、足を使う方言研究は難しくなり、いまは古文書の翻刻が中心になっているとおっしゃっていた。そのとき、例に挙げていた初代岩内古宇郡長の簗瀬真精が残した『独見集』の翻刻がとうとう終わったのだ。

見野久幸編著『岩内町郷土館蔵 簗瀬家文書 簗瀬真精書簡集 独見集』


 そもそも簗瀬真精とは誰か。1838年(天保9)に岩代国(今の福島県西部)に生まれた代々、会津藩主の松平肥後守に仕える家臣である。会津藩といえば、戊辰戦争で旧幕府軍の中心となったことで知られるが、真精もその一員として戦い、敗北後は東京で謹慎生活を送っている。しかし、開拓事業に従事する者は罪を許すという内命を受けて、会津藩士が多数送られた斗南(青森県)には行かず、蝦夷地(北海道)を選んだ。1869年(明治2)に小樽郡に移住し、一時、困窮生活を送ったが、1870年(明治3)に開拓使に登用され、厚田郡に詰めることとなった。
 
今回、見野さんが翻刻した古文書は、厚田郡時代に真精がやりとりした書翰である。新暦の1871年(明治3)1月1日から1872年(明治5)2月15日まで21通が含まれている。岩内町郷土館が所蔵している資料だが、これまでに読み解いた人はいなかった。それもそのはずで、仮名はほとんどなく、漢字だらけの手紙である。いまの我々にとっては極めて読みづらい。見野さんは、学生時代に古文書解読で鍛えられたことを『地方史のつむぎ方』のインタビューで語っておられた。その後、余市町の林家文書ボランティアの会でも研鑽を積まれて、このたびの翻刻を完成された。
 
 本の前半には、資料の写真と翻刻文が収録されている。「候」「奉り」などが頻出し、武士はこんな固い文章を書いていたのかと思わされるが、「厚田村川端辺に移住の者は多く博徒の類にて」「近年に之無き大漁の由」などと当時の厚田の様子が伝わってくる部分もある。本の後半は見野さんの解説である。誰もが喜ぶ本ではないかもしれないが、厚田の歴史、また会津藩や戊辰戦争に関心を持つなら読む価値がある。
 
 真精はのちに岩内古宇郡長を務め、1921年(大正10)に83歳で亡くなっている。和洋折衷の隠居邸は現在も岩内に残っている。1906年(明治39)に建てられた岩内最古の建物だという。子孫も町内にいらっしゃるとのことだ。
 
 『岩内町郷土館蔵 簗瀬家文書 簗瀬真精書簡集 独見集』はA4版、全174ページ。1冊2000円(税別)。岩内町郷土館、岩内町の小林書店、紀伊國屋書店札幌本店、小樽店で販売。遠隔地の方は私に連絡いただければ、見野さんに発送を依頼します。minamisiribesi@hotmail.co.jp


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