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カラの容器
色々教わって、覚えようとして、少し前までは使えていたけれど今は忘れてしまっていることがよくある。
言われたことをやっていて、ふとやり方がわからないことがよくある。調べてみるけれど、分からない。
覚えていないということを、知らないということを、ふとした拍子に誰かに知られるのがとてつもなく恥ずかしい。とてもとても恥ずかしい。
…これ、昔教えたよね?
…あれ、君、そんなことも知らなかったんだ?
穴があったら入りたい。
知っていたはずの自分から、もう知らない自分へと転落している。まるで別人のよう。
何も知らない自分に気付かされる。期待に添えないことが申し訳なさ過ぎて、本当に情けない。
だから知っているふりをしたり、覚えていないと言わずに、なんとなく誤魔化してしまう。そして、負の連鎖へ。一度入り込むと抜け出せない連鎖である。アリジゴクのように、登ろうとしても足元から崩れていく。
知ってるフリをしたから、今更聞けない。恥ずかしい。
そういう自縛の連鎖に真っ逆さま。
馬鹿だな、本当に。少し聞けばわかることを、延々と一人相撲して、答えが出ずにぐるぐる回る。いいかげん、この癖を捨てたい。
時間が経って忘れても、また聞けばいいという心持ちが欲しい。
困った時に、さらりと人に聞ける身軽さが欲しい。
今日もそんな想いに囚われて、なんだか自分が嫌いになってくる。
自分はカラの容器なのだと思いたい。
中身は蒸発しうることを知っておきたい。
この世界には、自分が知らないことの方が圧倒的に多いのだ。ちょっとくらい物を知らなくて恥ずかしい思いをしたとしても、そんな自分を許してあげたい。
世の中にはまだまだ知ることのできることが沢山ある。
カラの容器を沢山用意して、順番に納めて行けばいいから。
中身が蒸発したら、また注げばいいから。
そうやって、慰めてみるのだ。
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