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それを食べるワケ

新しい年がやってきた(明けましておめでとうございます)。

年末からいろんなものを食べてきた。
お洒落なクリスマスディナー、大晦日に奮発した肉、年越し蕎麦、餅つき器でついたお餅、おせちっぽいもの。スーパーに行くと沢山の普段見かけない食材やお惣菜が並んでいて、思わず買ってしまう。「こんな時にしか食べないもんね」
去年は大変な年だった。年末は忙しなかったけど、美味しいものを食べられて幸せだ。

年末からYouTubeの海外のサバイバル動画にはまっている。
なんでも食べる。我々にとってのゲテモノも、非食材も、ともすれば愛玩動物も。砂漠のど真ん中では『貴重なタンパク質です』。きちょたん。大抵は生か丸焼きでいただく。密林の中では、蠢くもの全てが食べ物。

エンターテイメントとしてのサバイバル、楽しんで見ていた。生き残る力が凄い。面白い。こういうの、もっと見せて欲しい。

そこで優秀なYouTubeのサジェスト機能が持ってきたのが、東南アジアのとある生活をビデオに収めたチャンネル。

フィッシュチーズという食べ物の存在を初めて知った。魚なのに乳製品の味がするらしい。これに調味料やハーブを沢山入れて包丁で叩いていく。叩く叩く叩く。傍ではモツを煮込んでいる。

それを食べる理由はなんだろう。

以前、ベトナム人の友人とガチなベトナム料理@日本を食べに行き、口と胃の中を大変レアな香りに占拠された経験がある。友人が「その(なんでも食べる)気概があればどこでも生きていける」って言うくらいには、果敢に挑戦した。
おうよ、できるぜ、任せろ…。

とはいえ茹でただけのモツを香辛料入りのフィッシュチーズにディップして食べる気概は、私には無い。好き嫌いが少ないと言えども、厳しいと思う。

それを食べる理由は、「美味しいから」なんだろうか。

美味しいってなんだ。
私が馬刺しを美味しく頂くのを、目を剥いて見つめる人もいるだろう。新鮮な刺身を食べている姿を、顔を歪めながら見てくる人もいるだろう。

それを食べることの善悪を問いたいのではない。それしか食べられない世界だから、と言われればそれまで。でも食べ物に乏しい環境でも「ご馳走」と「普段の食べ物」は存在するはず。そのご馳走が我々にとってゲテモノだったとするならば、それが「ご馳走である」理由はなんなのだろう?美味しいから?珍しいから?

そんなことを考えながら、今夜も食べ物を頂く。

今年もたくさんの食べ物に支えられて、一年、生きていく。

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