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【読書日記】続 横道世之介

『続 横道世之介』吉田修一
『最後の息子』が一番好き~と言った舌の根も乾かぬうちに、
やっぱり『横道世之介』が一番好きかも…と思う。

吉田さんの作品は本当に幅が広くて、どうしようもないくらいに暗くてドロドロしていて、人間の業の深さや悲しみを見せられているような気持ちになるものもあれば、
『横道世之介』みたいな、軽い会話を楽しめて、且つ、人生っていいよね、と気楽に肩をたたき合えるような作品もある。
どちらも好きで、決められない。

『横道世之介』もなんとなーく覚えてるし、ラストは覚えているのに、詳細を忘れてしまった…けれど、読んでいるうちにそうそう、こんなだったなと思い返す。
『横道世之介』は長崎から出て来たばかりの大学生・世之介の物語。
その大学生と関わった友人たちが、数年後その頃を回想するシーンを何度か挟む。
『続…』では、世之介は卒業して、就職に失敗し、フリーターをしている。そして、振り返る友人たちは、東京オリンピックの年を生きている。
そう、本当は東京オリンピックが行われているはずだったんだよな…

世之介は、アルバイトをしたり、パチンコをしたり、友達コモロンと遊んだりしている。パチンコで出会った浜ちゃんという鮨職人を目指す女の子や、元ヤンのシングルマザー桜子、桜子のお兄さん、桜子の息子が東京オリンピックの年にそれぞれ世之介を思い浮かべる。

世之介、という人をどう表せばいいか。
パチンコ屋で喧嘩した浜ちゃんと行きつけの床屋で出くわし、浜ちゃんは「丸坊主にしてくれ」という。たまたま居合わせただけだけれど、行きがかり上、それに付き合うことになる。

人間には役に立たなくてもいいから、誰かにそばにいてほしいときがある。

そういう時にいてくれる存在。

コモロンは勤めていた大手証券会社を辞めて、自分が見えなくなっていた時。2週間のアメリカ旅行へあご・足・枕付きで誘う。その時の言い草が、

「とにかくひどい言い草なんですよ。そのコモロンって友達に言わせると、俺は、マラソン大会とかで、辛くて、いよいよ立ち止まって、レースから脱落したときに横を歩いてくれる奴なんですって。息が整うまで一緒に歩いてもらって、自分の息が整ったら、俺を置いて走っていくんですって。ひどくないですか?」

言いえて妙。

高校時代の友人に誘われて飲んで、その友人のお兄さんが引きこもりになって一年になると聞けば、

なぜか世之介の脳裏に浮かんでくるのは、一年前の自身の姿である。わりと鮮明に思い出せるのは、この月が自身の誕生月だからで、暇さえあればパチンコ屋に通うようになっていた時期で、ああ、これが厄年というものかと、半ば投げやりになってもいたが、それでもあれから今日までの一年間を全部なかったことにしましょうと言われれば、「いやいや、それでもちょっとはいいこともあったんですよ。もちろんパチンコで勝ったこともあったし、誕生日プレゼントだって、コモロンが自分が聞かなくなったマドンナとB’zのCDをくれたし」と、決して充実していたとは言えない日々ながらも、ちょっとだけキラキラした思い出はいくつも浮かんでくる。
そして、きっとそれが一年というものだ。
しかし、栗原の兄貴は、その一年という日々を、「いらない」と言っているのだ。
そんな人間がいることが、世之介はどこか悲しい。

そんな風に考える、優しくて、健全な人間。
今となっては「引きこもり」は社会現象も通り過ぎ、身近になった存在だけれど、この頃にはその言葉すらなく、衝撃はいくばかりか。そして、この表現を、思いやりのある言葉だな、と私は思う。身近なものなのに、我が身に降りかからなければ、こんな風に胸を痛めることはできず、「へえ」と当たり障りのない感想を言ってしまうところを、こんな風に表現できるのだから。

桜子とは恋人関係だが、その息子、亮太には「世之介」と呼ばれている。
ある日、公園で小さい子のおもちゃを取った上に「僕の方が強いもん」と言ってしまった亮太を桜子が怒っている。亮太は大泣きしている。
その亮太を抱き上げ、世之介が言う。

「お母さんが、どうしてあんなに怒ってるか、亮太は分かってるもんな。」
「お母さんはな、亮太が弱い人間にならないように、一生懸命育ててるんだからな。」
「…いいか、亮太。弱い人間っていうもじゃ、弱い人からおもちゃを取ろうとする人のことだぞ。逆に、強い人間っていうのは、弱い人間に自分のおもちゃを貸してあげられる人のこと。分かるか?」
「…強い人間っていうのはな、あんまりいないんだぞ。本当に少ないんだぞ。でも、おまえのお母さんはな、亮太のことをそんな人間にしたいんだよ。分かるか?」
「…うん。」
「じゃあ、なんでお母さんはそう思ってると思う?」
「亮太には見込みがあるからだよ。たくさん子どもがいる中で、本当にちょっとしかなれない強い人間に、おまえがなれるかもしれないって思ってるからだよ。分かるか?」
「…うん。」
「実はな、俺もそう思った。初めて亮太に会ったとき、『ああ、こいつは強い人間になれるかもしれない子どもだぞ』って」

父親じゃないか、これはもう。
けれど、桜子は世之介を人生のパートナーには選ばない。


「…優しいっていうかなんていうか、そういうところがあんたの良いところなんだろうけど、現実問題としてはぜんぜんダメだからね。だってさ、あんた今、うちでバイトしてんだからね。本気で私たちのこと大切に思ってんだったら、先に就職だろって話よ。」
「世之介ってね、たとえば人からこんな人いるんだよっ、って聞くと、とっても良い人そうに見えるんだけどさ、実際そばにいたら、そうでもないからね。極端に頼りないし。」

桜子の評価はすごくわかる。女性から見たら物足りないような男性なんだろうな、と思う。けれど、こんな人に出会ってみたかったな、私は。
もしかしたら出会っても好きになれていないかもしれないけれど、毎日幸せでいられるんじゃないだろうか。
最後に桜子の兄・隼人が手紙で言っている。

世界中を船で回っていると、本当にこの世界にはいろんな国があります。そしていろんな問題があります。目を覆いたくなるようなこと。悲しみ。痛み。憤り。本当に奇跡でも起こってくれないかと思います。そんなとき、ふと浮かんでくるのが、あの頼りない世之介の顔なんです。
世の中がどんなに理不尽でも、自分がどんなに悔しい想いをしても、やっぱり善良であることを諦めちゃいけない。強くそう思うんです。

頼りなくてフラフラしていて、男としては物足りないけれど、でも、「善良」な人間。人間、するいし、だらしないし、甲斐性なし。でも、「善良」な人間。余白、みたいな人。

コモロンは勤めていた大手証券会社を辞めて、自分が見えなくなっているし、浜ちゃんは働いている鮨屋で苛め抜かれている。桜子は子どもを抱えて将来に不安を抱えている時期で、桜子の兄・隼人は高校時代に喧嘩で植物状態にさせてしまった相手とずっと向き合ってきて、その友人がついに亡くなってしまう。
みんな、辛い、人生のどん底の時。
けれど、

人生などというものは、決して良い時期ばかりではない。良い時期があれば、悪い時期もあり、最高の一年もあれば、もちろん最低の一年もある。
一応大学は卒業したものの、一年留年したせいでバブル最後の売り手市場に乗り遅れ、バイトとパチンコでどうにか食い繋ぎながら始まった世之介のこの一年が、決して最高の時期ではなかったのは間違いない。
ただ、ダメな時期はダメなりに、それでも人生は続いていくし、もしかすると、ダメな時期だったからこそ、出会える人たちというのもいるかもしれない。
桜子や亮太はもちろん、隼人さんに、親父さん、浜ちゃんだって、コモロンだって、もし世之介が順風満帆な人生を送っていたら、素通りしていったかもしれない。
とすれば、人生のダメな時期、万歳である。

きっと東京オリンピックに合わせた本書だっただろうに、コロナのせいで今年開催されなかった。
けれど、なんて、タイムリーな物語だろうって思う。
今、すごく必要な言葉が沢山あった。
この一年、私もそれなりに苦しかった。
もっともっともっと、しんどい人も沢山いたと思う。そんなときに、近くに世之介がいたらなあとも思うし、私が誰かの世之介になれたらいいなぁ、と思った。

吉田さんってどういう人なんだろう、と想像する。
「怒り」や「悪人」を読んでいたら、ちょっと恐ろしいような人かなって思ってしまう。「国宝」を読んでいてもその構成や取材の緻密さに、近づきがたいものを感じる。
けれど、『横道世之介』を読んでいたら、こんな人だったらいいのにって思う。
そして、これが書けるっていうことは、きっとすごーく優しくて健全な人なんだろうなって願いを込めて思っている。

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