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【読書記録】夏川草介「スピノザの診察室」

母の本棚から本をよく拝借する。
父が存命だった頃は、父の本棚からも本をよく持ち帰っていた。
実家に帰るたびに彼らは本を新旧問わず買っていて、
溜まっていく一方だったので、私は整理をしてあげているぐらいのつもりでいたのだが、
ある時「あんたは借りた本を返さないね」的なことを言われた。
あ、すみません…笑

父は古い本や昔読んだ本を繰り返す読む傾向があったが、
母は割と新しもの好きで、新刊を購入していたりする。
だから余計に、「おい返せよ」と思われていたのかもしれないが、
いやいや、あなたの家はモノだらけじゃないですか、と反論している。笑

母は自分の想いや考えを口にしたりするのが苦手だ。多分。
本の感想も、「読みやすかったよ」が多い。
読みやすかったか、読みにくかったか、の感想しかないんかい!!!なんて
つっこんだりしているのだが、
時々、
「死にまつわる話でげんなりしちゃった」とか
「こういう本は気分が滅入るからやだ」なんて感想も混じる。

さて、この本も母が読み終わったのを私に(貸して)くれたのだが
これに対して、母は
「すごくほんわかした。死ぬ前にこういうお医者さんに会いたいな」と
言っていた。
「こういう本がいいわ」
「暗いのは嫌や」とも。

母とはなんでもよく話す親子だと私は思っている。
近所の人のことから、友達のこと、子どもたちのこと、夫の愚痴。
半径1メートル以内のことではあるが、
なんやかんやペラペラと長々話している。

それは父が死ぬ前から変わらず、父が亡くなる前にも
亡くなった後にも普段から特別深い話はすることはない。
時々、父が亡くなったことや、父について話すことはあれど、
死生観というものについて、
親子であっても真剣に話すことってないものだ。

「死んだら灰にして海に流してね」と母が言えば、
「海に流すには遺骨を自分で粉々に砕かんとあかんらしいで。
しゃーないな。みんなで砕くわ!」なんて私が答えることはあるが。

死について、肉親と深く真面目に話すことは、難しい。

それは、私自身が目を背けたいから。

父は生前、
「70になったらポックリ死にたい。」なんて言っていた。

けれど、
70になって「はい!終わり〜」なんてできるものではなく、
まだまだやりたいこともたくさんあり、終わらない仕事も
抱えて生きていた。
元気な父を見て、「70とか言っちゃって、まだまだ元気に生きるよ。お父さんは。
憎まれっ子世に憚るって言うからな。」と
私たちは憎まれ口を叩いていた。
そんな父がある日突然、いなくなった。

父の死後、仕事部屋から「終活ノート」なるものも出てきたりして、
「終わり」を本当に意識していたのだ、と現実味を帯びて感じさせられた。
生前に、父の人生観とか死生観とかもっと深く知ることができていたら…なんて
ことも考えることがある。

かと言って、母ともやはり「死んだらこうするね」「死ぬまでにこうしておいてね」なんて具体的に話せるわけもない。
まだもう少し元気で生きてね、と願うばかりだ。
いつまでも親離れができない。
せいぜいが、冗談めかして、
「私のお葬式は簡単でいいわ。」と母が言い、
「そんなんあなたの妹たちが許してくれへんわ」と答えるばかりだ。
本当の意味で母や父が望んでいることなんてわかるはずもない。

父方の祖母は、癌が見つかり、余命宣告を受けて
亡くなる前に、あれこれと決め、整理をし、
延命措置をしないこと、など自分で決めていた。
そして、自分の夫に、「あんたは後3年はちゃんと生きなさい」と言い残して
逝ってしまった。
本当は祖母はまだまだ長生きして、自分の夫を看取ってから元気に人生を謳歌するつもりであったらしいから、内心は相当悔しかったに違いない、と母だったか、
父だったかが話していた。
祖父は、その言いつけを守るかのように、ちょうど3年後、自宅の前で倒れて、
ポックリと死んでしまった。

母方の祖母は、これまた癌が見つかったが、
娘たちがそれを受け入れられず、祖母に言うことができず、
「治る」と言い続けて、そのまま逝ってしまった。
祖母は、「自分はもう死ぬんじゃないか」と思っていたようだが、
娘たちが「絶対に治る」と言い続けていたため、結局何の用意もできずに
逝ってしまったのだと、母は漏らしていた。
少し、母たちの間で後悔があるようだった。
祖父も余命宣告を受けた後があっという間だった。

母がこうした、自分の両親たちの死を看取り、
ポツリと感想を漏らすことはあっても、明確に考えを述べることはない。
そういう明言を避ける人だし、自分の感情を言葉にできる人ではないのだなと思っている。

そんな母が読んだ本の感想をポロッとこぼすのを、
「そうか、この本は母に癒しをもたらしたのか」と思いながら読むことは、
私にとっては母の価値観を知ることと等しいと思っている。

「スピノザの診察室」を読んでいて、頭に浮かぶのは、もう、
母のことばかりになってしまう。
母が言う「こういうお医者さんに会いたい」というのは
どのシーンだろうか。
こういう最期、とはどのエピソードを思っているんだろう。

みんな、歳をとり、いつかは「死」を意識していくようになる。
けれど、理想通りの「人生」や「死」を具現化できる人は少ない。
自分の理想を誰かにうまく伝えることも、難しい。
動かなくなった体で、「どうしたいか」それを家族に伝えることも
医者に伝えることは実に難しい。

誰かと本を読むことは、
私たちが言葉にできないイメージや、意識、価値観を
具体的にしてくれる小説家の言葉を借りて、
「誰か」に伝えることでもあるのかもしれない。

「この本いいよね」というシンプルな言葉でも
同じ本を「いい」と思う瞬間が
誰かとの間に芽生えた時、
全く違うものを見ていたとしても、
伝わる瞬間があるのかな、と思う。

別に「いい」と思わなくてもいい、「いや」という感想が、
そうか、この人はこういうのは嫌なんだ、というメッセージになる。

本を読んで雄弁に語る人間もいれば、語らない人間もいる。
でも、本は雄弁に語っているので、
代弁してくれることもある。

夫に私が伝えたい気持ちがこもった本があったら読ませたいのだが、
今のところ、まだ見つかっていない。





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