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【読書日記】クララとお日さま

「クララとお日さま」カズオ・イシグロ
          土屋政雄手=訳

カズオ・イシグロの小説は読み終えるのに大変な労力を要するものもある。
けれど、その後、長く、心にすみ続ける。
そういうものが多い。
何年も、ふと心にその映像がよぎる。

この作品もきっと、そうなるだろう。

お日さまを見つめる、小さな少女の姿が心に住み着いた。

あらすじ

クララは人工知能を持ったロボット。
AFと呼ばれる彼女たちは、少年少女たちの「親友」となるべく販売されている。

クララたちAFは、少年少女たちに選んでもらうために、
お店の中のあらゆる場所に平等に飾られる。
クララはお店のショーウィンドウから外を眺め、観察し、「世界」を学習する。
AFにはおひさまの光が栄養源となる。
おひさまの光がよく届く、路面に面したショーウィンドウに飾られたある日、
クララは1人の少女、ジョジーと出会う。

やがて、クララはジョジーの親友となるべく、お店のある都会から、
ジョジーの住む田舎へと引っ越す。

ジョジーは病気がちで、外へでる機会もあまりない。
母親と、家政婦のメラニアさん、ジョジーのボーイフレンドであるリックぐらいしか日々出会う人はいないが、
少ないながらも「学習」し、ジョジーのために最善を尽くすクララ。

やがて、ジョジーの病気が深刻になるに従い、
クララは自分にできることを考え始める。

謎めいた設定

「日々の名残り」や「浮世の画家」でも感じたが、
一人称の視点で描かれていて、その人の主観がかなり入っている。
にもかかわらず、すごく客観的という不思議な印象をもたらしてくれる。
それに加えて、ここでは「私を離さないで」のように特殊な設定。

「AF」や「人工親友」や「未処置」って一体なんだろう…と不思議に思いながらも、一人称であるためかそれに関する詳しい説明がされることはない。

クララ自身の目線も、人工知能であるため、周囲の状況を滑らかに把握するのではなく、視覚的にもいくつものボックスに分けられて、状況を解析している様子が窺える。
クララ自身となって状況を想像したり、理解したり、人間関係を理解していく過程が求められる。

おそらく、子供たちは何らかの理由で、同い年と一斉に交わる機会=学校がない。
その中で、コミュニケーション不足を解消するために「人工親友」を与えられる子どもたちがいる。

隣に住むリックとは仲がいいが、「未処置」のリックと「処置済み」のジョジーにはどうやら隔たりがありそうなこと。
大学へ行くために「処置済み」であることが求められることなどが窺える。

また、イギリスかなあと思っていたら、どうもそうではないようで、
どこに住んでいるのか謎…なんとなくアメリカかなあとも思える。

こういう謎めき方に、私は理解するのに時間を取られてしまうけれど、
クララでもなく、外に自分を置いて読むことができたら、
その世界の面白さや、登場人物一人一人に感情移入することができる。
クララ自身は驚いていないのに、こっちが勝手に驚かされる場面もあるけれど。

「人工親友」について

ジョジーはクララに一目惚れをして、「彼女がいい」と主張し、何度か足を運んでクララを選ぶ。
クララもその想いを受け取って、一生懸命に彼女に尽くす。

けれど、そんなジョジーでも結局「人工知能」は「人工知能」に過ぎない扱いをすることが多々ある。
それをクララは何とも思っていないし、憤らないし、悲しく思うこともない。
ただ冷静に分析し、処理している。

けれど、そのやりとりが余計に、私には悲しく感じさせる。

交流会で何人か子供たちが集まった時、急にジョジーが冷たくなったこと。
子どもにありがちな、急に残酷な様子を見せる。
リックと2人になった時、クララの存在を無視する。
家政婦のメラニアさんは、明らかに「AF」に反感を持っていて、
ぞんざいな扱いをする。

そういう人々の戸惑いもきちんと描かれていて、
一つ一つ理解できる。
確かに、人間とは異質な何かを完全に同じようには受け入れられないだろうな、と。

小さな子どもが人形に名前をつけて、唯一無二の親友のように
いつでもどこでも持ち歩く。
一緒に遊び、一緒にご飯を食べ、一緒にベッドに入る。
けれども、やがて子どもは友達と遊ぶようになり、話すようになり、人形はおもちゃ箱の中に忘れ去られる。

それと同じように、いや、それ以上に
「AF」はお喋りすれば答えてくれる。
一緒に食卓につくことを望めば、ともに食事をし、
夜もずっとそばで見守ってくれる。

けれど、「AF」が常に自分の望むように動いてくれて、
返答してくれる訳ではない。

クララも常にジョジーを観察し、「正解」を出すよう努力するが、
必ずしもその努力は実らず、ジョジーの苛立ちを感じてしまうことがある。

その苛立ちに対して、「悲しい」とは表現せずに、学習を繰り返し、
「どうすればよかったのか」を考え続ける人工知能の姿に余計に切なさを感じてしまう。

真っ直ぐなクララ

ジョジーの病気を治すために、一生懸命なクララの姿は、
時に、とても幼く見える。

自身のエネルギー源がおひさまの光であるため、
おひさまに対して信仰に似た想いを抱いている。

人工知能を備えていて、豊富な知識をもち、解析能力、学習能力は長けていても、
ジョジーの病気をおひさまが治してくれると信じ込んでいるところは
幼いようなギャップを与える。

けれど、周りの人間には、いろんな思惑があり、
人間はそれぞれ迷いながら、自分なりのエゴや感情に引っ張られて、
変化していくことに対し、
クララは「ジョジーのため」「ジョジーには何が一番か」をずっと求めている。
その真っ直ぐさが、周りをも動かしていく。
「人工知能」に半信半疑だったリックや、ジョジーの父親も動かしていく。

人間にはない純真さ、真っ直ぐさ。

打算なんて1ミリもない。

クララは紛れもなく、ジョジーにとって「最高の人工親友」だった。

クララが望むもの

クララはジョジーのために最初から最後まで学習を繰り返し、
行動を繰り返す。
周りの人間はそれぞれに自分たちの思惑でもって、時に冷たく、
時に優しくクララに接する。

一つ一つに答えるクララは常に冷静で、感情を交えていないように
見える。
冷静だからこそ、そんな答え方…とこちらが戸惑ってしまう。
果たして、本当に感情はなかったのだろうか。

クララは最後まで、ジョジーのために動き、
ジョジーの邪魔になるようなことは最後まで選ばなかった。

けれど、瞬間、瞬間に残像として彼女の脳裏に蘇る映像は、
微かな彼女の願望をもしかしたら表しているのかもしれない、と
思うと、なんとも切ない余韻が残るラストだった。




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