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【読書記録】川っぺりムコリッタ/荻上直子


どうして、私は新しい服が欲しいのだろう。
どうして、私は「子どもたちを私立の小学校に入れられたらいいのに」という気持ちが止められないのだろう。
もっと大きい家に住めたら。
あの人はあんなに大きな指輪をしている…
気になりだすと止まらない時がある。
それがなくても幸せになれるのに。
温かいご飯が食べられるだけでシアワセな気持ちになれるのに。

ムコリッタ(牟呼栗多)
仏典に記載の時間の単位のひとつ
一/三十日=二千八百八十秒=四十八分
「刹那」はその最小単位

本書より

刑務所から出所したばかりの「前科者」山田。
海の近くで住みたくて、縁もゆかりもない街で暮らし始める。
イカの塩辛を作る工場で働きはじめる。
住み始めたのは「ハイツムコリッタ」。
隣に住む島田は、茶碗と箸を持ってやってきてご飯を食べてお風呂に入って帰っていく。
管理人の南さんは無愛想なシングルマザー。
お墓を売って歩く親子。
変わった住人たち。

高校生の頃に母親に捨てられた山田。生きるために「前科者」となってしまった。
生きる意味。生き甲斐。
「死にがいを求めて生きているの」とは違う、絶望に近いような切迫した気持ちで使われる、その言葉。
このまま生きていて、どんな人生になるというのだろう、と考える主人公の元に
「父親らしき人」の遺骨を引き取ってほしいと連絡が入る。
顔も覚えていない父親の遺骨を引き取ることになってしまった山田。
父親の人生を思うと、また「生きる意味って何だろう」という考えが頭をよぎる。
一人で、孤独死をした父親。
自分もそうなってしまうのだろうか。

初めての給料で、お米を買いおいしいご飯を炊いた。
そこにお茶碗を持って隣の島田がやってきた。

「ご飯ってねひとりで食べるより誰かと食べた方が美味しいのよ」

本文より

よく聞くセリフだが、彼らの生活を感じるほどにその言葉は染み込む。
ズカズカと隣の家に入ってくる島田。水道が止められ、電気が止められ、食料はアパートの前の庭での自家菜園。ギリギリの生活。彼がどうしてこうなったのかそれは語られない。けれど、物語の後半で泣いて、自分の頭を叩きながら空に向かって「自分も連れて行ってくれ!」と叫ぶ言葉に、彼の寂しさや、やるせなさ、1日1日を必死の思いで生きている様子が伝わってくる。
それを思った時、前述のセリフが胸に染み込んでくる。
島田は主人公が来る前、誰とご飯を食べていたのだろうか。

主人公が引っ越してきたとき、川べりに住むホームレスの人をみて、「まだ、ああなる勇気はない。ああはなりたくない」と考える。
でも、父親の生活を考えて、そうなりたくない、そうなるかもしれない、と思いながら、父親の生活を知って想像していくうちに、そこに大きな差異はないのかもしれない、と気が付く。

境界線なんて、はじめから存在しないのかもしれない。川の人たちにも、島田にも僕にもそれぞれの生活があり、僕たちはそれぞれに生きている。

「今、とても悲しいです。名もなく、死んでゆく人たちのことを思うと」

本文より

「せつな、たせつな、ろうばく、むこりった」

本文より

本書の中で「むこりった」の正しい意味を知る人はいない。
ただ、アパートに住むおばあさんがいつも唱えていたことを思い出し、夕暮れ時のピンクのようなオレンジのような紫のような混ざり合った空を見上げて、「こんな時間をいうのではなないか」「こんな感じの空が生まれて消える時間のこと」を言うのではないか、と言う。
48分。
1日の30分の1。
ゆっくりと変わりいく時間。
はざま。
境界のない、過ぎていく時間。


自分よりも下がいると安心する気持ち。自分よりも上がいる、と羨む気持ち。そんな気持ちを止めることはできない。
できないけれど、私も心の中でゆっくりと「せつな、たせつな、ろうばく、むこりった」と唱えて、今の自分を大切にしながら、自分の足元をきちんと、その度に見つめたい。そこには大きな違いはない。そこにあるのは「むこりった」だ、と。



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