「やりたいこと」なんてなくていい

以前の私は「やりたいことは何?」と人に聞かれる度に、何となくそれっぽい回答をしては、実はそんなに興味がないのに発言してしまったことと、現状やりたいことを持てていない自分に嫌気がさしていました。

思い起こすと、幼稚園の頃から聞かれてきた「将来何になりたいの?」も含めると、私はこの質問に人生をずっと縛られて生きていたように思います。
他の子が立派な回答をすると、母親は「あの子は夢があってすごい。あなたは何かないの?」と聞かれましたし、大人が喜ぶ回答を見つけられていないことが悪のように思えた時期もありました。
少し大きくなると、「やりたいこと=得意なこと」という勝手な固定観念を持って、人より優れている、得意なことがない自分に劣等感を持ったり諦めたりもしました。

ゴールを決めずに走っても道は見つかる

大人になり目の前の仕事が楽しい思えてきた20代のある時、ふと「やりたいことなんてなくていいや」と思ったことがあります。
何かを為し得ている人が必ずしも全員、最初に決めたゴールを目指していたとは限らないと気づいたからです。わたしの周りにいたすごいと思える人は皆「走りながら考える」タイプで、何か目標を定めてから考えて動いてるわけではありませんでした。
動いて突き当たった壁から新しい目標を見つけ、それを乗り越えてまた壁にぶち当たり、最終的に手にしたものが「自分のやりたかったこと」と気づけた人たちがいます。

それに気づいて「それっぽい目標を立てるのはもうやめよう」と呪縛から解放された時のことはよく覚えています。

入り口は「こと」とは限らない

「やりたいことはないけど、なりたい人物像ならある」。
ここ数年はそんなふうに思うようになりました。(けっこう前に)30代になり、後輩に指導する立場になると、人間的な価値を高めなくてはならない焦りを感じるようになりました。リーダーになると、自分のスキルで成果を出して評価されていたフェーズから、誰かに慕われ生き方を通じて仕事の評価をされるようになります。そんななかで、「やりたいこと」よりも「ありたい姿」が明確になりました。
具体的な目標人物がいるわけではありませんが、「こうありたい」「こんな価値観を持ちたい」という理想はかなり具体化しました。

私がどのような人になりたいのかについてはまた改めてまとめたいと思いますが、今「やりたいこと」が見つからなくて焦っている人は、まずは世の中の「こうあるべき」というフィルターを外して、自分がどんな価値観の人間になりたいか?に目を向けると、動き出すヒントになると思います。
尚、一定数わいてくる「きみの夢は?」「何がしたいの?」とか聞いてくる人のことは、無視することをお勧めします。

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