命より大切なもの

私にはかつて、自分の命より大切な命があった。
とても残念なことにその命は私よりも早く生を終えてしまった。
一度ならず、追いかけることも考えた。
そんなことを考えることを阻むかのように様々な災難や不運な事象が立て続けに起きて今に至る。 
つまり私はあとを追うことなくこれを書いているわけだ。
生物の本能として「目の前で起こる事象」について、その緊急性が高ければ高いほどその事象への対処に奔走し時間は流れていく。
落ち着いて時間があり自分と向き合ってしまうほど、この世界にいることの意味がわからなくなり蟻地獄にいるような気分になりあちら側へ渡りたくなる。
特に人間の社会は昨今「自分を見つめる時間」をとることがレジャー化しており、うっかり今まで見えてなかった選択肢を手にしてしまうことがある。
私のようなうっかりした死にたがりは、ひとりで自分を見つめてしまうと2度とこういう書き物はできないのだろう。かといってホモサピエンスを嫌いなため帯同するのはホモサピエンス以外でないと意味がない。
死生観においての認知の歪みがあるとされているものは、やはりひとりになるのはおすすめしない。
鳥でも犬でも猫でもいいから、生き物と時間を共有することをおすすめしたい。

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