観心寺 役小角・空海・そして南朝の人々と南河内の歴史を見てきた由緒ある寺院
さて、楠木正成首塚、後村上天皇陵、それから音舞台というイベントで登場させてきた観心寺。しかし観心寺そのものについてはまだ紹介していませんでした。ということで今回は観心寺の正統派の部分をつづっていきましょう。
観心寺は高野山真言宗の遺跡本山の寺院です。山号は檜尾山。日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』の構成文化財のひとつとあります。
ここで遺跡本山というのが気になったので、調べると、真言宗の寺にはいろんな位あるようです。それが次の通り。
総本山 高野山・金剛峯寺
大本山 高野山・寳壽院
(金剛峯寺に何かが起きた時に総本山になる寺院)
遺跡本山 神護寺、観心寺
別格本山 各地に数多くある。
準別格本山 各地に数多くある。
これを見る限り、観心寺は真言宗の中でも相当高い位にある寺院というのがわかります。
入口にある看板。寺元地区自治会とあります。地区名の寺元の語源は、ほぼ間違いなく観心寺なのでしょう。
こちらが入り口。「遺跡本山」と書いてあります。伝承では大宝元年(701年)、役小角(役行者)が開創したとされ、当時は雲心寺という名前でした。その後空海が如意輪観音像を刻んで安置して観心寺という名前になりました。この如意輪観音像が国宝で秘仏。
毎年4月に特別料金で公開されています。今年は残念ながら所用でいけなかったので来年こそしっかりと見ておきたいですね。
関西花の寺第25番とあります。関西花の寺二十五霊場というのが平成時代に創設。京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山、そして大阪にある25の寺院のひとつに選ばれました。梅と紅葉の名所となっています。
境内は梅や紅葉以外にもいろんな花が咲いています。これはキショウブでしょうか。
また実質的な開山者は、空海の一番弟子の実恵(道興大師)とも言われています。
さて入り口から正面には国宝の金堂に行けますが、その前に左手に続く道があり、そこに行けば霊宝館があるので先にそっちに行きました。その途中で見つけた小さな仏像。
その先にあるのは霊宝館と 恩賜講堂とのこと。昭和天皇即位のための大典用に京都御苑内に建てられた大饗宴場の一部らしいです。
ここが霊宝館。ここに入るのに追加料金はいりません。撮影禁止なので建物だけになりますが、実際に入ると重要文化財級の仏像が多数間近で見られました。
この後は良いよ金堂に行きます。
こちらが金堂。国宝と書いています。南北朝の正平年間(1346年 - 1370年)に建てられたとか。和様と禅宗様の要素が混淆した折衷様仏堂の代表例とか書いていました。国宝なのに赤っぽい色がいついているので新しい建物のように錯覚してしまいます。これは何度か修復が行われているので、そのときに塗りなおしたのでしょうね。
金堂の前にありました。明治33年ごろに寄贈したもののようです。迫力ありますね。
このちょっと不思議な形をした建物は建掛塔と呼ばれるもので、楠木正成が三重塔を作るつもりで最初の部分を作っていたら、討ち死にしてしまったので、慌てて上に屋根を作って仏道にしたそうです。ただ一度焼けたらしく1502年に再建されました。
以前記事に書いたとおり中世のころには、楠木正成や後村上天皇ともゆかりがあります。
蔵がありました。中に何が入っているのでしょう。
境内に池があったので見たら大きな錦鯉がいました。ちなみに一度では紹介しきれないところがあるのでこの続きは明日します。
檜尾山観心寺
住所:大阪府河内長野市寺元475
TEL:0721-62-2134
開門時間:9:00~17:00
アクセス:観心寺バス停から徒歩5分程度