“Stories” by Doris Lessing (3)
“Stories” by Doris Lessing (3)
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1, “The Habit of Loving “
彼は自分が病気かもしれないと思い、医者に行った。
医者は彼の心臓には何も悪いところはないと言い、まだ30年は生きられる、英国の劇場にとって幸運な事だ、と敬意を表しながら付け加えた。
ジョージは、「心臓の痛み」と言う言葉は人が日夜、彼にとっては数か月にわたって、痛む心臓を抱え続ける事だと理解し始めていた。
もうほとんど一年になる。
彼は胸の痛みに夜目が覚めて、深い悲しみの重さで朝目を覚ますのだった。
それには終わりは無いように思われ、その考えは彼を2つの行動に駆り立てた。
一つは、マイラに彼らの愛の日々を思い出してほしいという、注意深く気遣いのある手紙を書いた事。
やがてこの手紙へ注意深く気遣いのある返事が返って来た。
そして彼は妻に会いに行った。
数年彼らは良い友人だった。
彼らはしばしば会い、いや、子供たちも成長したのでそれほど頻繁にではなく、多分1,2回。
彼らは決して言い争いはしなかった。
彼の妻は離婚した後再婚し、今は未亡人だった。
彼女の2回目の夫は国会議員で、彼女は労働党と病院の諮問委員会に所属し、進歩的な学校の理事を務めていた。
彼女は50歳だが、そうは見えなかった。
この日の午後の彼女は、細身の灰色の上着を着て、灰色の靴を履き、彼女の白髪は前方で波打ち彼女の外見を際立たせていた。
彼女は生き生きとしていてジョージに会えて大変幸せだった。
そして彼女は病院の委員会で改革案について進歩的少数派と、意見の合わない、ある、分からず屋についての話をした。
彼らはいつも共通の政治理念があり労働党内で中央より幾分左寄りの位置に有った。
彼女は第一次大戦の時の彼の平和主義者としての有りように共感を抱いていた。
彼はその為にしばらく投獄されていたのだった。
彼は彼女の過激な女性解放論に共感していた。
二人は1926年のストを支援した。
彼らが離婚した後の30年は、彼がシェークスピアを演じる会社と、失業手当をもらっている人々やハンガーストライキの行進をしている人々の為にツアーを続けているときに、彼女はお金の援助をしていた。
マイラは政治には全然興味が無く、子供たちの事にしか興味はなかった。
勿論、ジョージにも興味はなかった。