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第二次世界大戦とは何か:Part1「日中戦争」 ー中学生向けの日中戦争の流れー

こんにちは。

歴史の授業で、第二次世界大戦のあたり、ややこしいと思う中学生は多いと思います。
中学生が勉強する際、参考にできるように、そのあたりをまとめてみたいと思います。



《日中戦争と第二次世界大戦は別の戦争》

まず、1939年に始まった第二次世界大戦は、その前の日中戦争とは別の戦争だ、と覚えて下さい。


1937年:日中戦争始まる

1939年:第二次世界大戦始まる

覚え方「いくさ苦しい第2次大戦」
    193  9

※「いくさ」とは戦争のことです。
※1939年に生まれた人は、2020年に81歳になる人です。


教科書にもよるんですが、「第二次世界大戦」という章でいっぺんに日中戦争も書いてあると、日中戦争と第二次世界大戦の違いがわかりにくいことがあるので、まずこれを覚えて下さい。
そんなことは百も承知だ、という人は別にいいんですけど。


百も承知 = すごいわかっている



《日中戦争までの流れ》


1925:治安維持法、普通選挙法

1928:張作霖爆殺事件

1931:柳条湖事件をきっかけとして満州事変が起きる

1932:満州国建国、五.一五事件

1933:日本が国際連盟を脱退

1936:二.二六事件

1937:盧溝橋事件によって日中戦争始まる



これを見ただけでもうイヤだ、という人もいると思いますが、もうちょっとがんばって下に進んで下さい。

ナントカ事件とかナントカ事変でごちゃごちゃになる、という人は特にがんばりましょう。


①張作霖爆殺事件


張作霖(ちょうさくりん)は、当時の満州の有力者です。
日本軍・関東軍は「満州にもっと日本の自由になる国を作りたい。それには張作霖はじゃまである」と考えて爆殺しました。

これにより、この時の内閣の「協調外交(中国と戦争せずに話し合いでなんとかしようとしていた)」は、うまくいきませんでした。


※関東軍…当時、中国にいた日本軍。



②日本は満州国を中国大陸に作った

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)…南満洲鉄道の線路が爆破された事件。


この事件が起きたとき、日本は「中国がやったのだ」と言ましたが、実は自分(日本・関東軍)がやっていました。
これをきっかけとして日本は、中国軍と戦争をして、半年くらいで満州国を作りました。



③日本が国際連盟を脱退した


満州事変…柳条湖事件から始まる、日本の満洲での武力攻撃。


この時の中国政府は
「満州事変は、日本の武力侵略である。満州国なんて認められない」
と、国際連盟にうったえました。


国際連盟は、リットン調査団を派遣して調べたところ
「満州国を認めるのはちょっとムリ」
ということになりました。
そして、
「日本軍は満州から撤退すべき」
と国際連盟は日本に言いましたが、日本は


「イヤである」


ということで、国際連盟を脱退しました。


④二.二六事件とは何か

これは、ものすごく簡単に言うと
「陸軍の青年将校たちが反乱を起こし、要人たちを暗殺した」
というものです。

要人 = エライ人


この反乱は、一応、鎮圧されました。


鎮圧 = おさえること



⑤日中戦争の始まり


盧溝橋事件というのが日中戦争の直接的なきっかけです。


盧溝橋事件…中国の盧溝橋(ろこうきょう)で起きた、日本軍と中国軍の武力衝突。




〈その頃の中国〉


その頃の中国について、教科書に出てくることを説明しておきます。


その頃、中国では

国民政府(国民党)  対  共産党


で内戦をしていました。

※内戦とは同じ国民どうしで、国の中でする戦争のことです。


●国民政府…蒋介石が南京に作った政府

●共産党…それより以前、毛沢東(もうたくとう)たちが作った党



共産党は「連合して抗日しよう」と国民政府に言いました。


抗日 = 日本に立ち向かう


しかし、国民政府の蒋介石は受け入れませんでした。
すると、同じ国民党の張学良(ちょうがくりょう)が蒋介石を監禁して、連合して抗日すべきだ、という事件が起きました。


これは西安という場所だったので西安事件といます。


※張学良は、日本軍に爆殺された張作霖の息子です。


この西安事件をきっかけとして、国民政府と共産党は内戦をやめて、連合して日本と戦うことにしました。
これを「抗日民族統一戦線」といいます。



⑤日中戦争


以上のようにして日中戦争は始まりました。

日本 対 中国

の戦争なので日中戦争と言いますが、戦場は中国です。


1937年に、日本軍は中国の首都・南京を占領し、多くの中国人を殺害しました。

これを「南京事件」と言いますが、この事件は「南京大虐殺」と呼ばれたりもします。
教科書によっては載せてない教科書もありますね。


この「南京事件」については、色々な考えの人がいて、ずっと論争になっています。
しかし、今回は、中学生にわかりやすく日中戦争を知ってもらう、というのがテーマなのでとりあえずここでは論争しません。


論争 = 意見の違う人が意見を言い合うこと


では、日中戦争はいつ終わったのでしょうか?

ネット上の辞書、コトバンクによると

日中戦争とは、「1937年7月から 1945年8月まで日本と中国の間で起こった戦争」です。
8年続いたことになります。


日中戦争は第二次世界大戦が始まっても続いていたのです。


つまり、日本は
「日中戦争をやりながら、第二次世界大戦にも参戦した」
ということになります。


それは普通に考えれば、莫大なお金や労力がかかる、ということです。


日中戦争が長引くと、1938年に国家総動員法という法律が作られました。


これは、戦争のために、国民の持っているもの(お金や労働力)をさしださねばならない、戦争に向けて頑張ろう、という法律です。


 

◆では、おさらいしましょう。

《日中戦争までの流れ》


1925:治安維持法、普通選挙法

1928:張作霖爆殺事件

1931:柳条湖事件をきっかけとして満州事変が起きる

1932:満州国建国、五.一五事件

1933:日本が国際連盟を脱退

1936:二.二六事件

1937:盧溝橋事件によって日中戦争始まる
 


◆日本は、さらに別の戦争(第二次世界大戦)にも参戦しますが、それはPart2で書きます。


◆五.一五事件…二.二六事件とごちゃまぜになりそうなので、今回、飛ばしました。
これは、簡単に言うと、海軍による首相の犬養毅殺害事件のことです。

◆五.一五事件と二.二六事件については、もうちょっと書かないと、わかりにくいですねえ。
別の機会に書きます。



※参考文献

『もういちど読む 山川 日本史』山川出版

『中国の歴史教科書』明石出版

ウィキペディア

コトバンク

※地図の画像

ウィキペディアより

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