「『ボウキョウ』講評」を読んだ反省note

先日、プロの脚本家である川光俊哉先生に小説を講評してもらいました。アマチュア素人作品が一刀両断された感じです。

なかなか悔しいですが、かなり的確なコメントなので、お願いして良かったです。

ちなみに、もしこれからお願いしようか検討している方がいたら、川光先生のマガジンを一通り読んでからでも良いかもしれません。

他に「脚本の書き方」「詩の書き方」もあります。
私は講評をいただいた後に読んだのですが、自分への講評と重複する部分が多く、前もって読んでいたら良かったなあと思いました。

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さて、今回の記事では、いただいた講評を引用しながら、指摘された点について自分がこれまでどう考えていたか、を主に書きました。

講評を読んでも分からなかった、あるいは悩みが深まった部分については最後に質疑という形にしてあります。(納得いくまで質疑応答してくださる、とのこと。ありがたい限りです)
 

いただいた講評と振り返り

13万字の長編。
冗長すぎる。
20枚で書ける。

未熟な作者の通弊、「物語の時間と言説の時間の一致」
「見聞きし考えたことをすべて書く」をやっている。

「冗長すぎる」→自覚あります。

実を言うと、これでも削った方で、当初はこれより5万字も多かったです。

プロの作家がテンポよく場面を変えていくのと比べて、自分の書いた話は「なんだか話が進むの遅い?」と思いつつ、これ以上削る場所がわからないという状態でした。

原因は「見聞きし考えたことをすべて書く」からか、と恥ずかしながら指摘されてやっと分かった次第。

引用してくださったウンベルト・エーコ『小説の森散策』の一節はその解説としてとても分かりやすかったです。

あと後日見つけたこのツイートも参考になりました。

申し訳ないが
1/3しか読めなかった。
不誠実と言われるだろうが、やむをえない。
低俗、凡庸、退屈きわまりない文章を読むことに
これ以上の時間、労力をついやすことは
私にはできない。

いえ、読んだふりして講評するよりよっぽど誠実かと思います。逆にスパッと書かれて小気味よいくらいです。

3分の1っていうと4万字くらいな訳で、多くの方が依頼している短編と比べたらものすごい分量読んでもらってますから、感謝しています。

ただやっぱり最後まで読んでもらえなかったのは悔しいです。未熟者が往生際悪いかもしれませんが、8話が一番読んでほしい部分でした。
(じゃあ8話で表現したかった内容をクローズアップして書くべきだったのか? と今思いました)
(いま8話を読み返したらやっぱり冗長かもと思ったけど書いたことは後悔してません)

赤川次郎の往年の作品を彷彿とさせる
軽さ、読みやすさ、分かりやすさはあるが
赤川次郎の往年の作品のように
2020年9月現在ではとても通用しないくらい、タイトル、文体、会話、語彙が古い。

「タイトル、文体、会話、語彙が古い」は自覚有りです。

本をたくさん読めたのは中高生の頃なので、既に15年くらい経ってます。その頃で感覚が止まってるかもしれません。

ちなみにインプットのために何かの作品を読んだかというと、芥川賞をとった沼田真祐の「影裏」とか、候補に上がった、いとうせいこうの「想像ラジオ」とか…読んだはいいけど、読んだだけで活かせてないのが残念。(ただ単に楽しむ読書として最近読んだのは池井戸潤や有川ひろの作品です)

移動中のひまつぶしには最適だと思う。

暇つぶしでも読んでもらえたら御の字です!!

描写は正確だが、頭をつかって解釈すべきところはひとつもない。

ちょっと褒められた! 全然褒められないと思ってたから嬉しいです。直後に落とされてますけど。

印象に残る表現も皆無。

これは自覚有りです。
何か捻り出そうとしても出てきませんでした。
ここ、最後に相談させてください。

高尚な趣味を持っているようなふりをする「ブルジョワ」どころか
芸術への感受性が完全に欠如した大衆にお似合いの作品。

この部分を読んで、想定している読者が違うことに気づきました。

そうなんです、これは大衆向けに書きました。

難しく考えなくても、誰でも広く読めるような内容。それは自覚有りです。

安易に純文学と大衆文学を区別して自分の作品を分類すべきではない、とも思いますが、独創性を磨こうというよりも「広く読んでほしい」という思いが先にきたのは確かです。

芸術性が不要だとは思っていません。

でも芸術って何? と問われると辞書に載っている以上の言葉では表せない。そもそも芸術性、独創性ってどういうことでしょうか……最後に相談させてください。

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さて、ここからは事前にお伺いした質問に答えていただきました。

① テーマ「故郷と家族」を表せているか

「第1話」「第2話」が不要。
特に、「ノノ」との関係性を
再会のシーンをつくってまで書く必要がない。
(この「神楽坂のフレンチレストラン」のシーン、実に村上春樹的「ブルジョワ小説」)

「第1話」(1〜21/310)を読んで
「故郷と家族」がテーマであると感じる読者はいない。

実を言うと「第1話」も「ノノ」という人物も、大枠ができた後の追加設定です。バレバレですね……

追加の背景として、小説なら短編より長編だろう、という思いがあって、登場人物を増やした経緯がありました。前後で書かれているように、実は無くても良かった存在なのです。

ただ、書き手のエゴですが、ノノには思い入れがあるので、書いて後悔はしていません。

フレンチレストランの行は、少し反省。テレビドラマの影響が大きいのかも? 田舎者の憧れが入ってしまったかも?

というわけで、もともと「第2話」がスタートライン。人物説明が主になっている、なかなか事件が起こらないという自覚は有りですが、長編ならこのぐらいありでは! と思って書きました。無しですか。うーん、残念。

(後日、他の方への講評を読んだら、「設定そのものを描こうとしてはいけない」という助言を見つけたので、ここは納得しています)

② 裏テーマ「福島第一原発事故後の福島県浜通りを知ってほしい」はうまくいっているか

申し訳ないが
そこまで到達できなかった。

うわー本末転倒ですね!! 伝えるのが難しい内容を感情移入しやすい小説で伝えたいと思っていたけれど、実力が全然伴ってなかったー……
(色々な意見を読んで「状況を伝えたい」はテーマそのものにならないのか? とも思いました)

ちなみに以下のような内容を扱っていました。概要です。

・祖母と伯父夫婦が、居住制限解除区域における土地の売却や家の譲渡について揉める。主人公は家族会議に巻き込まれ、親戚と両親の思いを知る(主人公が傍観者なのが問題だとは思っている)→和解。
・主人公、伯母のSNSでの誹謗中傷被害を知る。
・友人からのメールをきっかけに主人公が父と歩み寄る。
・帰還困難区域にある実家に行こうと父が提案。主人公、避けていた過去と向き合おうとする。
・帰還困難区域への立ち入り。主人公、現実逃避。
・帰宅後、実家を解体すると提案する両親に、主人公が反発。
・父と和解できそうな時に、震災で家族を失った男が引き起こす傷害事件に巻き込まれる。

ところで、ここまで書いて、あれ、と気づきました。

川光先生が冒頭で「20枚で書ける」と仰っていたけれど、これ(6〜9話)でだいたい20枚(4万字)だな、と。

なんだ、無理して長編にしなくて良かったのかしら。

書ききったこと自体は、自分にとって価値のあることに変わりないんですが、これはものすごい気付きです。ここも最後に相談します。

③ 主人公が淡々としすぎており、感情移入しにくいと言われるので、改善するとすればどのような手段があるか

大丈夫、越えられない壁は無い。一歩ずつ未来に進んでいこう。
と語り手は言っている。

作者が「越えられない壁」を提示していないのだから
そうにちがいない。

父親の「記憶障害」自体は「壁」でもなんでもない。
ごく円満な家族関係のなかで経験する
多少めずらしいエピソードでしかない。

(中略)

「記憶障害そのもの」はコンフリクトにならない。
作者が書き
読者が読むのは
常に人間であって
「記憶障害」によって、どのように関係性がゆがみ、きしみ、破綻して
その過程でどのように人間たちが行動するのかが表現されていなければならない。

しかるに
家族間の信頼関係にまったく変化はなく
「記憶障害」を受け入れている寛容な人々になんのコンフリクトも生じなかった。

コンフリクトについては、以前の講評で拝見していたのですが、なるほど記憶障害そのものでは足りないのですね。

実は下読みしてくださった方からも少しご助言をいただいたことがあって、曰く「登場人物がすんなり物事を受け入れすぎる」「葛藤を描いた方が良い」という内容です。(つまり下書き段階ではさらにトントン拍子でした)
一応OKはもらったものの、ご覧の内容で落ち着いてしまいました。助言を活かしきれなかったんだなあ、と思うと残念です。

語り手には価値観がない。
ただの解説者、ナレーターにすぎず、ごく一般的な良識を持った
ふつうの女性が状況に対して感想を述べているだけ。
その「感想」は「芸術への感受性が完全に欠如した大衆」のそれと完全に一致するだろうが
なにひとつ、あたらしいことを表現できない。
三人称より無個性な視点。

これ! これ悩みなんですよ。どうしたらいいんでしょうか。最後に質問します。

価値観は、人間の偏見、欠落、未成熟な部分によって規定されるが
語り手はつまらない良識でしか
周囲の物事を判断しない。
語り手に、いかなる変化をさせたいのか
構想の段階で計画しておくべき。
作品の本質は、この語り手の変化であり、「故郷と家族」そのものは書けない。

「いかなる変化」→ 震災以来努めて「良い子」であろうとする主人公が、自分の家が廃墟になっている事実を受け入れる過程で自分の感情、意見を出していき、最後は避けていた父に歩み寄る。 というつもりだったのですが、せっかく一人称なんだから、表面が「良い子」でも内面ぐらいもっと葛藤させた方が良かったなあ、と反省。あとで質問します。

④ 後半ほど推敲の時間と回数が少ないため、構成が甘い気がする
申し訳ないが
読んでいないから分からない。
冒頭、序盤も「甘い」ので
自覚がある後半はもっと「甘い」のだろう。

仕方ありません。

でも、もし移動中に時間ができて気が向いた時には、暇つぶしの流し読みで構いませんのでお目通しいただけたら嬉しいです。

想定される反応としては
・5話が不要(真司の株を上げるために挿入した回なので)
・11話が不要(事件が去った後の平和な日々を長々と書いているので)
ですが、多分もっとあるんだろうなあ、とも思います。

⑤ いれるかどうか最後まで迷ったエピローグは賛否両論。川光さんなら、どのようにお感じになるか…
不要。

(中略)

ミステリー的趣向を暗示しておきながら
作中作を読まされていただけだったとは
13万字もつきあわされた読者はがっかりしたことだろう。
思わせぶりなエピグラフも無意味。

実はそのがっかり感が未熟者の意図したところでしたが、浅知恵と言われればそれまでです。

感情移入してきた登場人物たちが実はいません、なんならモデルは亡くなってます、ということで、現実は小説のようにきれいにいかないということを語りたかった。のですが、

小細工を弄する前に
生きた人間とはなんなのか、真剣に考えてみることだ。

これに尽きるなあ、と思う次第です。
多分、先生ならば「現実は小説のようにきれいにいかないということを語りた」いならそれを作中で表現すべし、と仰る気もします。

この点については納得しているので特に質問や相談はありません。

ついでに書くと、西山実里という存在も大枠ができた後の付け足し設定。付け足しが余計で一番読んでほしいところを読んでもらえなかったのは本当に悔しいです。

講評と振り返りは以上です。

質疑

ここからは質問というか相談です。往生際の悪さはご容赦ください。

①凡庸な作品で恐縮ではありますが、あともう少し、8話だけ読んでいただけませんか。廃墟となった実家との対面・主人公の動揺もコンフリクトにはなりえないと言われるかもしれませんが、この話の一部分だけでも小説の主題として活かしようがないか、知りたいです。

②表現の古さを打破する、印象に残る表現をするためにはどうしたらいいでしょうか。自分ではたくさん小説を読む、まず真似るくらいしか思いつきませんが、読むにしてもどのような作品が良いか、どのように読めばいいかヒントがほしいです。

③「広く読まれたい」という意識は無いほうが良いのでしょうか。ちなみに最近は、読まれることより、書きたいものを書くことに重きを置こうかと思い始めています。(以前の記事で「賞を取りたいならば…」という対話形式の内容は拝読しているのですが、確認です)

④「20枚で書ける」とのことでしたが、例えば以下のような内容だとしたら、プロット(に見えたらいいんですが)段階でどのような手直しをされますか。(実際に書いたものは5万字強です)

・祖母と伯父夫婦が、居住制限解除区域における土地の売却や家の譲渡について揉める。主人公は家族会議に巻き込まれ、親戚と両親の思いを知る(主人公が傍観者なのが問題だとは思っている)→和解。
・主人公、伯母のSNSでの誹謗中傷被害を知る。
・友人からのメールをきっかけに主人公が父と歩み寄る。
・帰還困難区域にある実家に行こうと父が提案。主人公、避けていた過去と向き合おうとする。
・帰還困難区域への立ち入り。主人公、現実逃避。
・帰宅後、実家を解体すると提案する両親に、主人公が反発。
・父と和解できそうな時に、震災で家族を失った男が引き起こす傷害事件に巻き込まれる。
・主人公の過去回想。病院で目覚めた主人公、両親と和解。

⑤コンフリクトの例として、例えば父親が主人公を拒絶したり、主人公が父に苛立ったり、母に八つ当たりしたり、という展開ならば成立したでしょうか? 足りないとすると、どのように改善できるでしょうか。

⑥語り手に価値観を持たせるには、コンフリクトに対する反応を描写するべしということですか。理解が足りずすみません。

⑦本論とズレますが、そもそも私自身が、「ごく一般的な良識を持ったふつうの女性」で、何か新しいことを訴える資質に欠ける気がします。それとこれとは別な気もしますが、悩みます。実体験が無ければ創作ができないとは思っていませんが、実体験が無いなりに何ができるでしょうか。新しい物を見聞きし続けることでしょうか。

⑧「いかなる変化をさせるか」という点で「震災以来努めて良い子であろうとしてきた主人公が、自分の家が廃墟になっている事実を受け入れる過程で自分の感情、意見を表出していき、最後は避けていた父に歩み寄る」という設定が甘いとして、どのように改善できるでしょうか。(本編でこの大筋以外のことを書きすぎている点はまた別の反省点です)

⑨プロットから見直すとしたら、同じ作品を書き直すより、新しい作品を書いた方が良いと思うのですが、いかがでしょうか。

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たくさんあって、しかもそれぞれ長くてすみません。
質疑応答してくださるという言葉に甘えて思いつくまま書きました。

お時間のある時にご回答ください。

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ちなみに、この創作教室のやりとりの過程で馴れ合いは無用だと思うのですが、ただ一つだけどうしてもお伝えしたいことは、私もジョジョは二部が一番好きだということです。そこだけは分かり合える気がしました。

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追記:素早いフィードバックありがとうございます!

さらに追記:読んでくれと食い下がったら読んでもらえました。意外と良い人です。(先生は「意外」が余計と思うかもしれませんが、講評の字面だけ見てると私みたいな素人はビビっちゃいます)

応援してくださるそのお気持ちだけで、十分ありがたいのです^_^