夢、それは他人が一番興味ない話
早いもので、受験生の総本山と言われる夏休みもそろそろ終わりを迎えていて、何もできていない自分に焦りをおぼえている。日本史の添削はメールで見てもらっているが、早くこなせない自分が憎い。
今回は、他人にとって一番興味のない、夢の話をしたいとおもう。
自分が書いたものを他人に読ませたい。
それが今、高校三年生の私の夢。「読ませたい」といったのは図々しい意味ではなく、「読んでほしい」くらいの意味なんだが、こう書くのにはちょっとした理由がある。
公に文章を出したこともないくせに、私にはポリシーがあって、それは、書いたものは誰かが読まないと意味がない、ということだ。
どんな文章でもそうだと思う。商業作品は勿論、学校の宿題である作文は、提出する先生を魅了しなければ書く意味がないし、日記だって、未来の自分が読みたくなるようなものを書かなければならないと思う。まあ、私は日記つけんが。
どんな言い訳をしても、他人に読まれない文章は自己満足以外の何物でもないからね。
脚本でも、小説でも、記事でも、私が書いたものを他人に読ませたい。これが夢。
一年前、映画「ギャングース」を見たときは、教育制度を変えたいと思って官僚を夢見たこともあったが(今考えると上から目線だったと思う)、やっぱり好きな本に関わりたいし、そのためには文学部かなあと思う。
ここまで読んでくださるとわかると思うが、私には文才がまるでない。高校生にしては語彙力が驚くほど低いし、秀でた才能があるわけでもない。それなのに私が自信過剰なのはある人の言葉があったからだ。
高2の冬、人間科学部を進路希望にしていた私に、担任は、
僕は天才文学少女やと思ってるけどねえ。
と言った。
正直意味不明で、何を根拠にそんな凡庸なキャッチコピーを思いついたのだろうと思った。数回学校の文集に読書感想文や人権作文が載ったくらいで、どうしてそこまで言えるんだろうか。あんなもの、提出する教師の好みに書いているから掲載されるのは不思議なことではないのに。
しかし、きっと私の無意識はその言葉を真正面から受け取って、天狗になっている。
私はたぶん、物書きにならないと後悔する気がする。
努力して夢が叶うかは分からないけど、夢を追いかけてるときは楽しかったし、損したことなんて一つもなかった。って、「カルテット」で松田龍平くんが言ってた気がする。それくらいの心構えで行きたいなって。
不肖の私は、大学に行って、教養と自由な時間を手に入れるために日々受験勉強に励まなければならないわけで。
看護師になるために看護学校に進んだ母は、大学に入ってから将来のことを考えようとする私にイマイチ納得していないけれど、まあ、文系にとって大学はブランドだし、とりあえず入らないことには。
ここまで読んでくださりありがとうございました。ではでは。
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