9年来のともだちを失った話

中学1年生からの付き合いだったともだちを、なくした。
なくした、というよりも切られた、のほうが正しいかもしれない。
彼女はおもしろいひとだった。昔から声が大きくて、たくさんの人と仲がいいけど一途にひとりの男の子を想っているような、そんな女の子だった。
店員さんやスタッフに愛想良く話しかけるところが好きだった。わたしの好みを否定せず話を聞いてくれるところが好きだった。おもしろい話を持ってきては「好きそうだと思って」と付け足すクセが好きだった。
12歳のときから約9年、ずっと楽しかった。

中学生のときは、担任の新任教師をなぜか嫌ったこともあった。担任が変わり1年も経つとどこが嫌いだったかわからなくなって二人で先生の机に居座ったこともあった。
彼女をいじめて、部活を辞めるきっかけになったクソ女の悪口を言い合った。乏しい語彙で、とにかくあいつはサイテーな女だ、と放課後の教室でぐちぐち言った。それでも直接的な仕返しや悪い噂を広めたりしない彼女がやさしすぎて、わたしはこっそりあのクソ女の悪いところを違う知り合いに言ったこともあった。
何度も、ふたりでカープ を見に行った。たまについてくる彼女のお母さんと、きゃっきゃ言いながらマツダスタジアムでうどんを食べた。わたしは堂林、彼女は岡田明丈が好きだった。あのころは堂林よりアキタケ(彼女がそう呼んでいた)のほうが1軍の試合によく出ていたので、彼女といっしょにアキタケを応援した。ベンチに背番号7が見えたらいつだって大きな声で教えてくれた。

高校が離れても、わたしたちはたびたび会っていた。
彼女の腕に傷がつくようになったとき、わたしはそれについてなにも言わなかった。彼女も、何も言わなかった。ただ、深夜にかかってくる電話にはぜったいに出るようにした。わたしは、彼女に死んで欲しくなかった。
なんとなく、ずっとわたしたちはともだちなんだろうなと思っていた。頻繁に会うことはなくても、ちょっと旅行したり、コンサートに行ったり、突然深夜に電話したり、そういう距離感のともだちなんだろうなと、思っていた。

酔っ払ったときにかかってきた電話で「あんたしかかける人おらんけえ」と笑ってくれたのがとてつもなくうれしかった。
ともだちがいないわけではない、日中遊んだり、いっしょに飲んだりするともだちがいるなかで電話をかけるのはわたしだと、そう言ってくれた。
「わたしも、こんな深夜にかけてくるのはあんたくらいだよ」
照れ隠しでそう言ったけど、あのときちゃんと「ほかから深夜にかかってきても出ない」と伝えておけばよかった。わたしがこんな夜中に喋ってもいいと思うのはあなただけだった。

とつぜん、連絡を返してくれなくなった。いっしょにコンサートに行こうと約束して、チケットも取ったあとだった。どうやって行くか、どこで待ち合わせるか、そういったメッセージを送っても既読になることはなかった。
結局、ライブはひとりで行った。彼女といっしょならもっとたのしかっただろうな、とずっと思う公演だった。

インスタのストーリーは見てくれているので生存確認はできているけど、彼女はわたしと話すことをやめてしまった。わたしの連絡を返さない、ということを意図的に選んでいるんだと思った。
わたしは、ともだちをなくしてしまった。


わたしたちはお互いをずっと名字で呼んでいた。いまでも、わたしの名字を大声で呼ぶ声が耳にこびりついている。廊下の端から、わたしを呼びながら走ってくる彼女の姿を、思い出せる。
わたしにとっては急な出来事でも、彼女にとってはいろいろなものが蓄積した結果のことだったのかもしれない。
いつからダメだったのだろう。最後に会った日を思い出す。わたし、どんな話をしたかな。自分の海馬が弱いことをこれほど恨んだ日はない。

だいすきだった。お酒を飲めるようになっても、大人になっても、ふたりで会えば中学生のあのころに戻れたような気がした。
担任を嫌った朝、クソ女を憎んだ放課後、アキタケを見に行った日曜日。いまのわたしを形成したものぜんぶに、彼女はいた。
もうあのころには戻れないんだな、とひとりで思った。戻れたような気がしていただけで、わたしたちはもう無邪気なあのころには戻れない。嫌いだった担任を1年で好きになってしまったように、だいすきだったともだちも、嫌いになってしまうのかも、しれない。

さみしいな。かけがえのないひとだったな。
できれば、いまのわたしは嫌いになってしまったとしても、あのころの思い出の中だけはキラキラしていたいと、強く願った。
あなたがわたしを形成したように、あなたを形成した一部に、わたしもいられたらいいと思う。
長い時間が経って、冷たいものが溶けたら、またわたしの名字を呼んでほしい。
そのときはわたし、思いきり言える気がする。照れ隠しなんかしない、まっすぐな言葉で。
あんたはかけがえのないともだちだと。


(2022.12)

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