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令和6年度能登半島地震のその後 ー石川県内灘町北部ー

はじめに

 2024年1月、石川県内灘町にある実家に帰省していて被災しました。そして、2024年8月再び帰省しました。(2024年1月の被災直後のnoteはこちら

 7ヶ月以上経過しても、傾いたまま放置された家屋や電柱、道路を見て、災害によりもたらされる被害の大きさ、復興までの期間の長さを痛感しました。

 「一度被災すると、元通りの生活に戻るまでかなりの時間がかかる」当たり前のことですが、今、大型台風による大雨被害や、南海トラフ巨大地震など様々な脅威にさらされている日本で暮らす私たちです。災害直後だけでなく、今の姿も知っていただけると幸いです。

7ヶ月後の今

 同じ町内でも、被害の大きさ、復旧のスピードは全く異なります。私の実家のある地域の被害が大きい原因は「液状化」でした。私の実家は、まさに赤い点線で囲まれた地域にあります。

石川県ホームページより
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kankyo/suidou/documents/ekijoukakisyahappyo.pdf

道路の瓦礫は撤去されたけれど

自宅前の道路は地割れしていましたが、なんとか通れる状態に
この道、元は平坦だったんです
道路は通れるようになりましたが、後ろの家屋は撤去されていました
瓦礫の後ろには民家が連なっていたけれど、更地になっていました
傾いた電柱はそのまま
傾いたままの家屋もまだそこかしこに
地震発生直後、一夜を明かした小学校はそのまま
小学生は別の小学校へ通っているとのこと

おわりに

 災害の発生は止めることができません。備える・起こった時は周りの人と協力するが一番大切だと思います。一日一日、後悔しないように大切に生きていこうと思います。


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