舞踏のカウンセリング性とエクササイズと舞台

踊り方には様々な踊り方がある。いわゆるリズムに合わせて振り付けで踊るダンスとは異なる舞踏と呼ばれる踊り。振り付けがある時もあれば、なくても即興で踊ることもできる。リズムにのることもあれば、リズムを必要としないときもある。では、何で踊るのか。五感を使ったり、呼吸でタイミングを計ったり、言葉のイメージや内面で踊ったりということができる。これは踊りと呼べるものなのか、演劇の要素なのか?芸術なのか?運動なのか?

即興で言葉のイメージで踊る時、過去の運動体験や心理的内面、過去の記憶が顕著に表れることがある。特に舞踏では、超ゆっくり動く時、その非日常的行動の中で瞑想状態に近い状態にも至ることもある。その人が持ち合わせている体、意識的、無意識的行動により、深層心理から浮かび上がる行動や認識に出会えることもある。踊りながら、潜んでいた感情が一機に発露し、涙が出てきた、というカタルシス(心の浄化)になることもある。これはセラピーにも繋がる。私は舞踏のセラピー性は素晴らしい側面だと思う。想いや祈りを捧げたりすることもできる。心だけではなく汗もかき、体も鍛えられるなら、心の病を治すにはとても良い手段なのかも知れないと思う反面、実質的な医学的な研究エビデンスに至っていないので、治療とすることは危険だし、あくまで生活の癒しの手法としては成立するのではないかと思う。

このセラピー性のある踊りは、絵画で例えると私は分かりやすいので、いつもそうしているのだけど、例えば子供が勢いでぐいぐい夢中でクレヨンで絵を描いてお母さんがそれを褒める。それとセラピーの踊りはよく似ている。好き、嫌い、技術あるない、ではない。何か分からないけど凄いぞ、とか何か感じる…出てきた!ということになる。

このカタルシスに至るような踊りはそういう側面もあるというだけで舞踏の全てではない。五感を使ったり呼吸を使う身体訓練。意識、無意識において、コントロールするための運動、訓練もある。

話は少しそれるけれど、舞台でお客様へ踊りを披露するための作品を作る時、それはプロとして、スタッフに作品を説明したり、同じ作品を再び提供することを可能にしたり、場所を変えて再現したりという機会を頂く。また、作品を見たお客様の視点(感想やアドバイスを頂く)こともある。その時、即興では同じ作品が作れない、イメージを一つに統一しないと認識がずれてしまう、となる。リズムのカウントが必要になることもある。舞踏は、これらを使わないで踊ることもできるけれど、舞台作品になるとまとまらなくなってしまう。

私はこのセラピー性にも何度も出会い助けられたし、それと同時に身体訓練も行ってきた。どちらも否定しないけれど、時と場合、立場が変わると踊りも変わってくる。こんなに幅広い舞踏という踊りを日々どう自分の中で行っていくのか、という課題は常につきまとい、私は何年踊り続けても初心者なのだと思います。これからも初心者で踊り続けます。


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