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翻訳本サンプル「身勝手な巨人」(全文公開)

2024年5月19日に開催される文学フリマ東京38で発行予定の新刊「身勝手な巨人/類い稀なる打ち上げ花火」に収録されている短編「身勝手な巨人」の全文です。原著はオスカー・ワイルドの「The Selfish Giant」。
イベント前日まで期間限定で全文を公開します。
※イベント終了後、残部があればXfolio上で通販を行います。

身勝手な巨人(原題:The Selfish Giant)

毎日午後になると、学校を終えた子どもたちは巨人の庭園に行って遊びました。

庭園は広々として、青々とした柔らかい芝生におおわれていました。その芝生の上を星のように美しい花たちが彩り、庭園に生えた十二本の桃の木が、春にはピンクと真珠色の優美な花を咲かせ、秋には豊かな実を実らせます。枝に止まった鳥たちが美しい調べをさえずると、子どもたちは遊ぶのをやめて聴き入ったものです。「ここで遊べるなんて幸せだね!」と子どもたちは声高に言い合いました。

ある日、巨人が庭園に帰ってきました。巨人はコーンウォールに住む友人の人食い鬼のもとを訪ね、七年間そこで過ごしていました。なにしろ口下手だったので、話すべきことを話し終えるのに七年もかかったのです。それでようやく、自分の城に戻ろうと決めたのでした。戻ってきた巨人は、庭園で子どもたちが遊ぶ姿を目にしました。

「一体おまえたちはここでなにをしてるんだ?」巨人がひどくつっけんどんに、大声で言ったので、子どもたちは走って逃げてしまいました。

「おれの庭園はおれだけのものだ」巨人はつぶやきました。「そんなの誰だってわかることだ。おれ以外は誰も庭園で遊べないようにしてやる」そして庭園の周りを高い塀で囲むと、立て札を掲げました。

無断侵入禁止
発見次第
訴える

彼はとても身勝手な巨人だったのです。

かわいそうなことに、子どもたちは遊ぶ場所がなくなってしまいました。道路で遊ぼうにも、ほこりまみれなうえに硬い石がそこら中にゴロゴロしていて、気が向きません。授業が終わると高い塀の周りをぶらぶら歩きながら、その向こうにある美しい庭園に思いをせました。「あそこで遊べたのはほんとうに幸せだったね」とお互いに言いながら。

やがて春が訪れ、いたるところで小さな花が咲き、小鳥たちがさえずり始めました。ですが巨人の庭園だけは、相変わらず冬が居座っていました。子どもたちがいないので、鳥たちは庭園の中で歌おうとせず、木々は花を咲かせるのを忘れてしまったのです。一度は草の間から頭をもたげた美しい花も、立て札の言葉を見て子どもたちに同情し、するりと地中に戻ると眠りについてしまいました。喜んでいるのは雪と霜だけです。「春はこの庭園のことを忘れたみたい」と歓喜の声を上げました。「わたしたちは一年中ここで暮らしましょう」雪はその大きな白い外套マントで草をおおい、霜は木々を白銀ぎん色に染め上げました。そして一緒に暮らそうと北風を誘い、応じた北風がやってきました。北風は毛皮をまとって一日中庭園でうなり声を上げ、煙突に取り付けられたチムニーポットを吹き倒しました。「なんて楽しいところなんだ」と嬉しげに言いました。「あられも呼ばなければ」そうして霰もやってきました。霰は毎日、三時間にわたって城の屋根をガタガタと鳴らし、ついには屋根のスレートの大半を壊すと、今度は庭園を全速力で駆け巡りました。霰は灰色の服をまとい、その息はさながら氷のようです。

「どうしてこんなに春の訪れが遅いんだ」窓辺に座って白く凍てついた庭園を眺めながら、身勝手な巨人はつぶやきました。「天候が変わらないもんか」

ですが春は訪れることはなく、夏もまた訪れませんでした。庭という庭に黄金きん色の実りをもたらす秋も、巨人の庭園にはなにひとつ与えませんでした。「彼は身勝手すぎるのよ」そう秋は言い放ちました。そういうわけで、庭園にはいつまでも冬が留まり、北風と霰、霜、そして雪が木々の間を舞い踊っていたのです。

ある朝、巨人がまんじりともせずベッドに横たわっていると、素晴らしい音楽が聞こえてきました。あまりの音色のうるわしさに、王の音楽隊がそばを通っているのだろうと考えました。

実際には一羽の小さなムネアカヒワが窓の外でさえずっていただけなのですが、鳥の歌う声を久しく聞いていなかったため、最上の音楽に思えたのです。そして頭上で踊っていた霰の足音がやみ、北風のうなり声が途絶え、代わりに開いた窓からかぐわしい香りが漂ってきました。「とうとう春がやって来たんだな」巨人はそうつぶやくとベッドから飛び降り、外を見ました。

さて、巨人はなにを目にしたのでしょう?

巨人の目には素晴らしい光景が映っていました。塀に空いた小さな穴から子どもたちが忍び込み、木々の枝に座っていたのです。あらゆる木という木に子どもたちが登っていました。木々は子どもたちが戻ってきたことを喜び、その身に花をまとわせ、子どもたちの頭上でおだやかに枝をなびかせていました。鳥たちはあたりを飛び回って喜びにさえずり、花たちは芝の間から頭をもたげて笑みをたたえています。しかし目をみはる光景の中で、庭園の一角だけが冬のままでした。それは庭園の最奥で、そこには一人の小さな少年が立っていました。あまりに小さくて木の枝に手が届かないので、泣きじゃくりながら木の周りをうろうろと歩き回っています。あわれな木はいまだ霜と雪に厚くおおわれ、その上を北風がごうごうと音を立てて吹き荒れています。「ほら、登ってきなさい!」木はそう言って枝を出来るだけ低く差し伸べました。それでも手が届かないほど、少年は幼かったのです。

窓の外を見ているうちに、巨人の頑なだった心はほどけていきました。「おれはなんて身勝手だったんだ!」彼はつぶやきました。「春がここに来ようとしない理由がやっとわかった。あのかわいそうなぼうずを木のてっぺんにのせてやろう。それから塀を壊して、いつまでも子どもたちが遊べるようにするんだ」自分のしたことについて、巨人は心の底から反省したのです。

そしてそろそろと階下に下りると表戸をそっと開け、庭園に出ました。ですがその姿を目にした子どもたちが怯え、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したので、庭園は冬に逆戻りしてしまいました。ただ小さな少年だけが、その場に残っていました。涙で目がくもり、巨人の歩いてくる姿が見えなかったのです。巨人は背後から少年にそっと近寄ると優しく抱き上げ、木にのせてやりました。すると木があっという間に花をほころばせ、鳥たちがやって来て木の上でさえずり始めたので、少年は両腕をうんと伸ばして巨人の首に抱きつき、その頬にキスしました。もう巨人が意地悪ではないと知った他の子どもたちは、走って戻ってきました。それだけでなく、子どもたちとともに春もやって来たのです。「もうこの庭はおまえたちのもんだ」巨人はそう言うと大きな斧を手に取り、塀を打ち壊しました。以来、正午に市場へと出かけると、これまで見たこともないほどに美しい庭園で、巨人が子どもたちと遊んでいる姿が見られるようになりました。

日がな一日遊んで夕方になると、子どもたちはさよならを言いに巨人のところへ行きました。

「そういえばおまえたちの小さい仲間はどこだ?」と巨人はたずねました。「おれが木にのせたぼうずのことだ」巨人はキスしてくれた少年をいちばん気に入っていたのです。

「わかんない」子どもたちは答えます。「あの子はどこかに行っちゃったよ」

「あの子に、明日必ずここに来るよう言ってくれないか」巨人はそう頼みました。ですが子どもたちは、少年の家を知らなければ、これまで見たこともないと答えました。その言葉に、巨人はとても悲しみました。

毎日午後になると、学校を終えた子どもたちは巨人のところに行き、一緒に遊びました。ですが巨人のお気に入りの少年は決して姿を現しませんでした。

巨人はどの子どもにもとても親切でしたが、最初にできた小さな友だちを待ち焦がれ、あの少年についてしょっちゅう話していました。「あのぼうずに会いたいなぁ!」が口癖でした。

月日が流れ、巨人はずいぶんと年を取り、足腰が弱ってきました。もう遊び回ることはできないので大きな肘掛け椅子に座り、子どもたちが遊ぶのを見守ったり、自分の庭園を惚れ惚れとした顔で眺めたりしていました。「ここには美しい花がいっぱいある」彼はつぶやきます。「けど、子どもたちがなによりも美しい花だな」

ある冬の朝、巨人は着替えながら窓の外に目をやりました。もう冬のことを嫌ってはいませんでした。冬は春のまどろみに過ぎず、花たちも身体を休めていることを理解していたからです。

ふと、巨人は驚きに目をこすり、そして目をこらしました。目の前に不思議な光景が広がっていました。庭園の最奥の一角で、木が美しい白い花にすっぽりとおおわれていたのです。あらゆる枝が黄金色に輝き、白銀色の果実を実らせていました。そしてその下には、巨人のお気に入りの少年が佇んでいます。

喜び勇んで階段を駆け下りると、巨人は庭園に飛び出しました。芝生を急いで横切り、少年に近寄ります。そしてすぐそばまで行くと、その顔は怒りに染まりました。巨人は少年に問います。「一体全体、誰がおまえを傷つけたんだ?」少年の手のひらには二つの釘を打たれた痕が、そしてその小さな足にも二つ釘を打たれた痕があったからです。

「一体誰がそんなことを!」巨人は叫びました。「教えてくれ、そうしたら大剣を持ってきて、そいつを殺してやる」

「やめて!」少年は首を振りました。「だってこれは愛の証だから」

「おまえは誰だ?」巨人はつぶやき、そしてえもいわれぬ畏怖いふの念にられて少年の前にひざまずきました。

すると少年は巨人にむかって微笑み、こう言ったのです。「あなたは昔、この庭園で私を遊ばせてくれました。今日、あなたは私の庭園にともに来るのです。天国という名の庭園に」

その日の午後、走って庭園にやってきた子どもたちは、木の下に巨人が横たわり、亡くなっているのを見つけました。その身は、白い花にすっぽりとおおわれていました。

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