見出し画像

ユニヴァース焼きそばお嬢様

 午前中はお庭の剪定とピアノ、茶葉の選定と美味しい珈琲の淹れ方のレクチャーを受けて昼休憩に入る。今日は言葉や態度には表せられない文化での雅さを身に付ける授業だった。
 ……ご本でしか読んだことが無かったけれど、なかなか良い経験になりましたわね。

 お昼はいつも専属のコックが作ってくれるわたくしだけの好物。今日は海老と卵を用いた創作料理とお聞きしていましたが。

「お嬢様! 申し訳ありません」
「どうしましたの? そんなに慌てて」

 お部屋で待っておりますとランチを持ってくるのかと思えばそこには狼狽したメイドや調理人の使いが次々とわたくしのお部屋に入ってきます。調理場で只ならぬ事態が起きたことを瞬間で察知し、従者たちを落ち着かせることにしました。

「……良い。妾の力を必要とするのならば、その用何なりと言うが良い」
「本当ですかお嬢様!」
「二言は無い。して、どうした?」
「実は、お嬢様専属のコックが本日病に伏しておりまして」
「お料理をお持ちすることが出来ないのです!」
「……あ、ああ。なるほど、そういうことですのね……」

 慌てた様子ながら拍子抜けな回答が返ってくると、わたくしは戦闘態勢を緩めます。統治と指揮戦闘の訓練は受けましたけれども、流石にいきなり実戦とあっては覚悟を決める必要がありましたから。

「それでお嬢様……。本日の昼餉なんですが……」
「本日の昼餉はカップ焼きそば。とある企業から購入した備蓄品になります。お嬢様直々の調理のお手間が必要です」

 運び人が顔を青ざめながら持つ綺羅びやかなトレーにちょこんと載せられた馴染みのない容器は、あらゆる食器を見慣れた主すら訝しむほどの物であった。

 わたくしは従者からの報告に黙って震える左手で眼鏡を掴むと、それを外し従者達に告げます。

「このお料理を召し上がったことのない者は去りなさい」

 そう言うとゾロゾロと揃ってわたくしの部屋を去っていく者たち。残った者はたった一名。齢14になる庶民出身のメイドでした。バタムと音を立てて扉が閉まった瞬間にわたくしは爆発します。

「きた、きた。きた! 来ましたわあああああ!!」

「やりましたね、お嬢様」
「この時をいつから待ちわびていたことか……」
「申し訳ありません。コンビニで買えてもこのお城に持ち込む前に没収されてしまいましたので。……しかし備蓄庫、ここは盲点でした。次からはこちらから精査いたします」
「ありがとう。でもいきなり大きく掻き回しちゃ駄目よ。少しずつやるのです」
「承知いたしました。では早速調理に移りましょう。私はお湯を沸かして参りますので、お嬢様は本体の方を」

 わたくしはしばらく抱きしめていた容器を手放し、赤や黒や黄や茶といったデザインを堪能します。
 しばし目を楽しませた後は包装されているビニルをぺりりと剥がします。  
 まるで可憐なドレスを脱がせるかのような妖艶さ。
 細かい字で作り方が書かれていますが、今はどうでもいい。お湯が完成してからが勝負どころですの。ドレスが無くなった今はこの容器を開けるだけですわ。
 容器に覆いかぶさる蓋部分に付く乾物を外すと、第1段階である蓋を容器の約半分まで開けます。この時くれぐれも全て開けてしまってはいけませんの。
 容器を開けるとそこには豊かな大地を思わせる一面の固まりとなった麺と新たな袋が出現しますの。『蓋の上で温めてからお入れください』
 なるほど、お湯を入れて蓋を閉め、麺をほぐす時間と同時におソースを温めるのですわ。なんと計算され尽くされて……。

「お嬢様、てぃふぁーるが音を立てました」
「懐中時計をお持ちなさい」

 メイドは何も言わずにケトルと時計を渡してくる。本当によく出来た子ですわ。貴族出身ではない方がわたくしに合っているかもしれませんね。

 わたくしは容器の手触りを楽しみながらケトルからお湯を注ぎ込みます。ふんわりと漂ってくる麺と微かなお野菜の香り。集中しすぎると規定の線を超えてしまうので少し抑えますわ。
 蓋を閉めると同時に時計のタイマーをオンにしますの。でも駄目。15秒も経たないうちにソワソワしてしまいます。

 皆様はこの時間を何に使っておられますの? わたくしはこの待ち時間で有意義に過ごせた試しがございませんことよ!
 とにかく新聞やご本を開き、目についたところから読み進めてみる。しかし何も頭に入ってきやしません。今は漂ってくる良い香りといつにも増した空腹で脳を支配されておりますわ。3分間と聞けばお稽古中はあっという間ですが、ことお昼を食すにあたっては世界一長い3分間とも言えますわね。

「55…56…57…」
「もう大丈夫です。お湯を捨ててください」

 わたくしはメイドの言うがまま容器を持ってお部屋に付いているシンクにお湯を流します。この蓋は非常に優秀で、主にお湯を入れる為に開いた最初の半分とは逆方向に穴の開いたお湯を捨てる為だけに存在する第2の蓋が用意されておりますの。
 ちなみに、あまりにも角度を付けすぎますとダバァが起こりますのでくれぐれもご注意あそばせ。希望が絶望にひっくり返るのはこの3分間を乗り越えた後に生じた油断ですわ。

 計算された通りホカホカになったおソースの袋を開けます。ツンとした酸味が効く強烈な匂い。それを水気を切れるだけ切ったおそばの中に投入していきますわ。
 メイドが持ってきたフォークで勢いよく掻き混ぜます。満遍なくかけたと思っていても一箇所に集中していては味が落ちてしまいますの。全ての麺に均等に味と色を染み込ませるまでは素早い動きが求められますわ。
 その一方でお湯を切ったその瞬間から冷めるという現象がスタートしますの。この時間との戦い。いかに冷まさずに撹拌に成功するかというのがカップ焼きそばを美味しく食せるかの醍醐味になってきますわ。

 死闘を終え、全ての蓋を取り去ったわたくしは両手を合わせてお食事前の儀式を行います。

「我、ここにありがたく頂戴いたす。全ての命に感謝を。いただきます」

 麺を吸ってはいけません。おソースが跳ねてしまいます。しっかりお口を広げておソースと絡まった麺を入れた、その瞬間でした。


 嗚呼、キャトル・ミューティレーション…。


 わたくしの意識は肉体を離れ上空へと飛び立ちます。
 お城がやけに下に見えますの。楽しいですわ。このままどこかに消え去りたいとすら思うほどに。


 ほのかな甘味を帯びた麺にしっかりと味を主張するおソースが全面まで支配する。その暴力と形容すべき味は胃袋ではなく中枢神経に作用し次なる食欲を促します。食べても食べてもその味に飽くことはなく、次から次へとお口に運んでしまいますの。誰かわたくしを止めてくださるかしら?


「専属コックですらここまでの食べっぷりは再現できないでしょう、お嬢様」
「はしたなかったかしら。ごめんなさい」
「いえ、見ていて大変気持ちが良かったです」
「コックはいつまでお休みなのかしら?」
「流行り病に倒れたと聞きましたから、恐らくあと一週間は」
「そう、では貴女。明日からわたくしの専属コックに任命しますわ」
「ありがたき幸せ。てぃふぁーるを磨いておきます」
「結構」


 午後からは舞踏会の練習と絵画、帝王学の座学が待っておりますわ。
 いつもだと憂鬱なカリキュラムも、今日はほんの少し前向きに取り組めます。


 いつかわたくしを連れ去って、味の宇宙に溺れさせてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?