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茶道

おはようございます。吉川美南不動産の石井です。

私のお茶の師匠に「師匠の師匠」の話を聞かせてもらったことがあります。

師匠の師匠とは
福富雪底というお方。ちょっとググってみました。

福富雪底(1921~2006)臨済宗
新潟県西蒲原郡潟東村出身。
14歳で東京廣徳寺福富以清和尚について得度。
昭和21年梅林僧堂に掛搭、東海玄照老師に参禅、嗣法する。同37年廣徳寺住職。同58年、大徳寺派管長に就任する。

とありました。

その他関連する記事では「大徳寺と茶道」、「千利休ゆかりの寺!茶道との関わりが深い大徳寺」などが興味深い記事でした。

詳しいことはよくわかりませんが、とにかく「本物の人」なのだということだけは分かります。

大徳寺の14代管長になるということは情報を集めて見た限りはとてもすごいことなのかとは思うのですが、さらっとした情報以外は特に人柄が分かるようなことはこの情報社会でも何一つ残されていませんでした。

師匠からお稽古の時にポツリポツリと伺う雪底老師との問答は、私からするとまるで論語の世界です。

なので雲の上の人のような感覚しかありません。

ある日、師匠が食事の当番を任され、雪底老師に沢庵を差し出したそうです。(お寺は皆で同じ場所で一緒にお食事をされるそうです。おかずは大皿の上にのせ、一番偉い人から次々とまわしていくシステム)

まずはお寺で一番偉い人(ここでは雪底老師)から取り分けていくのですが、雪底老師は沢庵の切れ端のみをサッと自身のお椀に運び、ボリボリと美味しそうに食べていたんだそうです。

それを見た師匠は、「しまった!切れ端はよけて私が食べるものとしてとっておけばよかった!」と思ったそうです。

この光景がなぜかよく想像ができました。

師匠は、美味しいところ、食べ応えがあるところを食べてもらいたかったでしょうし、当然そこから取ってもらおうと考えていたのだと思います。

しかしながら、雪底老師は美味しいところは他の人に食べてもらおうと思ったのでしょう。

このやりとりに言葉はなく、どうしろと教えられたものでもない。ただ、お互いの尊敬や優しさ、思いやりの交差であり、その光景をみていたらお互いに対して尊敬の念を抱いていたことだろうと思います。

その他には「銀座にビルがほしいなぁ」とつぶやいたところ、

「なぜ銀座にビルがほしいんだ?」と問われたそうです。

そして、
「大きなものを手にいれれば、大きな苦労がついてくるもの。よく考えなさい」

と諭されたそうです。
(ちなみにこれは師匠の奥さまと雪底老師の問答集です笑)

そして師匠が言うには、お金持ちであったのに贅沢を嫌い、物は大事にし、必要なものはもたない、買わないという生活を生涯続けたそうです。

洋服も、師匠の息子に対しても「お古を着なくなったらわしにくれ」と言ったり、女性ものの服を工夫して男性用にして着こなすなどする徹底ぶり。

まだそこまでの境地には全然たどり着いてはいませんが、起業当時、会社をどんどん大きくしてお金持ちになりたい!と思っていた気持ちは少しずつ変わってきているのは現実です。

必要なものはなんなのか、本当に大切なものはなにか。なにをもって幸福と感じるのか。足るを知るということなのかもしれません。

自分にできること。手が届くところにいる目の前の人たちをまずは幸せにすること。

人間一人でできることは限られています。一人で無理してでかいことをするのではなく、たくさんの人たちがちょっとずつ、自分ができる最善を尽くすことが良い世の中をつくっていくのかもしれません。

師匠の師匠になんだか感謝の気持ちがわいてきます。ありがとうございました。

次は師匠の師匠の師匠に興味がわいてきました笑


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