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変化はじわじわと行われている

ドドーンと雷に打たれたかのような変化だけが変化だけじゃないなあと、ふと思いました。

わかりやすい例だとタロットのタワー

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強制終了的な変化って、わかりやすい。

でも、変化ってそれだけじゃない気がする。


じわじわと浸透していて、少しずつが積みかなさっていって、気づいたら違うとこにいたよ!的なこともある気がしてなりません。


自分がそんな気がしてならないのです。


先月は色々な気づきがありましたが、あまりにパーソナル過ぎて、自分の幼少期のことも絡んでくるので、ちょっと詳細は書けないのですが(じゃあ言うなよ、という感じですかね)。

なんかわたしが辛く感じるポイントがわかってきたのです。


小さい頃に受けた傷、もしくは傷というのは大袈裟かも知れないけど、そのポイントって人によって違ってくるじゃないですか。

ある人にとっては致命傷になるようなことが、言葉が、態度が、別の人にとってはかすり傷にもならない、、、というような感じ。



わたしは、子どもの頃に感じたことが、まま大人になった今も、そのポイントで躓いてしまっていることに気がつきました。


そのことを克服できたのか?

正確に言えばNoだと思う。

めっちゃ気にしているから笑


だけど、それを回避することは多分できる。

うん。


向き合う時は来ているのだけど、最後は自分が自分を抱きしめるしかないんだよね。



そのことに気づいた後のタイミングで読んだ、マドモアゼル愛さんの『月の教科書』


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この月理論は賛否両論あるみたいだけど、わたしは救われました!

自分で自分を苦しめている質が、だいたい自分の月星座によるものだとわかったからです。


で、これらの気づきや心境変化が一気に行われたかというと、そうじゃないんですよね。

ずーっと前から少しずつ行われていて、そのバラバラだった点と点が、あるタイミングで繋がって変化を起こしている。

タロットのタワーのような変化とか衝撃って、人生において1回や2回くらいあるだろうけど、変化ってそれだけじゃなくて、小さな小さな微細なものが、化学変化をおこして気づいたら変わっていた!

じわじわと浸透してくるようなものが、多いんじゃないかなあって思いました。




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