見出し画像

自分を愛する方法、見つけたかも?

心を開くということが、苦手だった。

学生の時は後輩に「湧き上がるアホのオーラが押さえつけられて苦しそう」と言われ、大人になっても「もっとハート、開いてイコーぜ!」と言われがち。心を開けないという自覚もあったけど、どうしたら良いのかわからなかった。

文章をいくら書いても、ヨガや瞑想をしても、もう一歩何か足りない。

届かない感じがあった。

そんな時、最近できた友達と、深く話す機会に恵まれた。個人のSNSやブログなどのアウトプットのしかたについて相談するのが主題だったけど、アウトプットはコミュニケーションの一つの形だ。だから自然に人とのつながりかたの話や物事の捉え方の話になった。

その中で「HSPの傾向があるんじゃないかな? そう感じたことはある?」と聞かれた。意外だった。HSPとは、Highly Sensitive  Personを指し、俗に「繊細さん」なんて言われるものだ。繊細さなんて、このわたしとは対極のものだと思っていた。ひょっとするとASDやADHDかな?と疑ってWEBでテストをして見ても当てはまらないので、そういうものとは無縁なのかな、と思っていた。HSPなんてもっと当てはまるわけない、と思っていたけれど、念のためにHSPのテストをしてみたら、だいたい当てはまった。というか、これが当てはまらない人なんているの?というくらい当たり前の項目ばかりだった。わたしの感じている「当たり前」は、当たり前じゃなかったのかもしれない。

わたしは見た目は小柄で気が弱そうな女性だけど、内面はゴリゴリにタトゥーが入ったスキンヘッドの身長180cmのマッッチョ男性みたいな気持ちで生きている。見下してくるヤツらに、「わたしの方が稼いでますけど、何か??」と言いたいがために、必死で仕事をしてきたところがある。自分は強いのだ、有用なのだ、と思おうとしていた。20代までは。

だけど、子どもを産んで周囲の環境も変わって、少しずつそういったものを手放せるようになってきた。HSPだなんて、20代のがむしゃらな頃には受け入れられなかったかもしれないけど、今は、「ああ、そうだったのか」とすんなり腑に落ちた。

普通の人に当たり前にできるはずのことが、どうしてわたしには難しいんだろう。人と会うと寝込んでしまうのは、自分に何か問題があるんじゃないか? 仕事をすると疲れ果ててしまって何も出来なくなってしまう時期が時々あるので人並みの社会生活は送れない、怠け者なんじゃないか?そんなふうにも思っていたけど、なんだ。そういう人だから仕方ないのか。

そう思えるようになってから人が多いところに行く回数は減らしたり、人に会う予定のあとは余裕を持っておいてしっかり休むようにしたり、どこでも瞑想するようになった。

登山では、疲れを感じる前に休憩する。まだ30分しか歩いてなくて、これから頑張るぞ!と気持ちが盛り上がってきたタイミングで、あえて立ち止まって休む。その方が、疲れ果てないで安定してずっと長く歩ける。それと同じで、何か刺激があったら細かく休む。それを習慣づけていくと、一日が終わって絶望的に疲れ果てる、ということが減ってきた。自分にとってちょうどいい在り方がわかってきた気がする。

先日、服を買うときにちゃんと試着をしてみたら、自分はSサイズがちょうどいいということがわかった。それまではなんとなく「普通体型だからMだろう」と、雑に選んでいたのだが、実際はSサイズがぴったりだった。夫には「小柄なんだからそうだろう。もっと大きいつもりだったの〜?」と茶化された。そっか。わたしは小柄だったのか。だからどうということもない。それが自分にとってちょうどいいという事実があるだけだ。

自分を強く大きく見せたい、役に立つ人だと思われたい、とういうことが少しずつ減ってきて「自分にとってちょうどいい」を選べるようになってきたみたいだ。

「自分を愛する」というと難しく思えてくるけど、自分にとっての「ちょうどいい」を見つける、ということから始めると良いのかもしれない。


読んでくれてありがとう! ぜひ、下の♡をポチッとしていただけると、とても励みになります。noteに登録してなくても押せます。