休むべきか、動くべきか【ヨガ本企画 8/100】

全く動ける気がしない朝も多い。
目覚めた瞬間から体が重だるくて、ヨガの練習なんてとてもできる気がしない。特に10代〜20代の頃、運動習慣がなくて自分に体を動かすことができるなんてそもそも信じていなかった頃、ヨガに出会う前の頃には、いつも体調が悪かった。なるべく動かないように、休めるように。そうやってやり過ごしてきました。

ヨガの練習を進めていても、そういう日がなくなるわけではありません。「今日は動きたくないな」と感じる日はあります。それでもマットに立つところまではどうにかやってみる。とりあえず太陽礼拝だけはやろうか、と練習を始めると、いつの間にかポーズを前に進めている。

たいていがそういう日だ。頭では「休んだほうがいいのでは」と思うけど、実際に動いてみれば、動ける。
苦手なポーズや負荷の高いポーズにくると「できないかも」という弱気な自分が顔を出す。いつもの練習じゃなくて、強度を落としてプライマリーにしようか、という考えが頭をよぎることもある。練習するポーズが途方もなく多く感じて、挫折しそうになることもある。先のことを考えすぎて不安に襲われて、恐怖に負けそうになることもある。

だけど、今のポーズができるのなら、今のこの、一つのポーズだけをやってみる。「この先ポーズは何個あるんだっけ」と数えたりせず、「後のポーズで疲れてしまわないように」と体力をセーブすることもせず。今、目の前のやるべきことに、全力を尽くしてみる。そうすると、不思議と気づいたら最後のポーズまで辿り着くものです。練習が辛く感じられる時もあるけど、それでも、その時なりのやり方で、ポーズを一つ一つ進めていく。うつ伏せで脚が上がらない日もあるし、カポターサナでかかとが掴めない日もある。だけどその日なりに呼吸してやってみる。そうしていくと、練習を終える頃には全身の調子が整って、心地よくなっています。

ヨガの練習は、登山にもよく似ています。麓にいるときに「頂上まで何歩歩けばいいんだろうか」と考えると途方もなく思えて足がすくみます。ただ一歩一歩を着実に積み重ねていけば、あるとき視界が開けて歩いて登ってみなければ見られなかった景色が見えたり、休憩で飲んだ水がとても美味しく感じたりして、気づけば頂上にたどり着くものです。

私は机に向かってするような仕事をしているので、つい頭で何もかも判断してしまいがちです。今日は練習を休んだ方が良いだろうか、何をどれくらい食べたらいいだろうか、休憩時間は何をしたら時間を有意義にすごせるだろうか。何もかも、頭でコントロールしなければいけないと、つい思い上がってしまいがち。

だけど、体は自然に属しているものです。自分の思い通りには動いてくれません。昨日できたポーズができなくなることもあるし、カロリーコントロールができない日もある。それを頭で管理して頑張ってしまうと、体の反撃を受けます。

そうではなくて、「とても動けない」と頭が思っていても、それを押し付けることなく、体に委ねてみる。考えるのではなく、ただやってみる。ヨガを通してそういう経験を積み重ねることで、ようやく、自分の体と仲良くなれた気がします。

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