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はじめまして、庄司美菜子です。

はじめまして、庄司美菜子です。

今、私のアイデンティティの大部分を占めているのは、男の子二児(5y / 2y)を育てる働くママ、ということかなと思います。

おなかの中に第二子がいた頃の家族写真

ただ忙しく過ぎていく「こなす」毎日を変えたくて、もっと「自分の人生を生きている感覚」を取り戻したくて、36歳で一度立ち止まり、自分と人生ととことん向き合う時間をとってみました。

電車での通勤時間、子どもを寝かせた後、家事の空き時間。
寝る間も惜しんで自分と向き合い続けた2022年の3ヶ月間。自分を紐解いていく時間は思ったより心地よかったけど、時に苦しかった。
それでも向き合い続けた理由は、このままの時間を過ごしてしまったら「私は死ぬときに後悔する」という強烈な危機感があったから。

そうして辿り着いた先には「私らしさを叶える場所を増やしたい」そんな仕事をしていきたい。という、私の想いがあった。これはもはや私の人生においての願望なんだと思う。
そしてうまれた「私らしさを叶える住まいに出逢う」をコンセプトとした、住まい探しのプロセスに特化したサービス。
ここまでのプロセスと、私の仕事と日々をシェアしていきたいと、noteをリスタートしました。

まだまだ小さい、私の想いとサービス。
初めの一歩として「庄司美菜子ってどんな人?」ということを知っていただけるように、私をかたち作ること3つをまとめる形で自己紹介させていただきます。

私をかたち作るもの3つ

1. 経歴|ライフストーリー

山形県の一番小さな町に産まれた私。そんな私にとって、家族が私の全てだったように思う。
共働きの両親のもと、戦時中を生き抜いた祖父母が一生懸命に育ててくれた。
幼少期の記憶は祖父母とのものばかり。
高校までは地元で進学し、大学で福島県会津若松市の公立大学へ。初めてのひとり暮らし。元ビジネスマンの教授の元、経営学を学ぶ。
「ビジネスの世界は、地球はもっと広い!」そんな青くさいことを思って、埼玉大学へ編入学。就職活動期間はたくさんのインターンに参加して働くおもしろさを教えてもらった。
卒業後は、新卒で不動産ポータル「HOME'S」を運営する会社へ入社。

私の社会人としての根本は今も変わらずこの会社の皆さんからもらったもの、青かった私の青春。

初めての社会人、それはそれは楽しかった、辛かった。私のこれまでの人生において宝物のような時間でした。
そして5年目で退社し、単身インドネシア首都ジャカルタへ(いきなり?!)。

2. 単身ジャカルタでのワークライフ

とにかく海外旅行が大好きで、働いて働いて、少し長めの休みをとっては海外へ。
つくられた旅行より、バックパックでひとりで行く冒険のような旅が好きだった。

人生で行って良かったと思える国、不動の一位「ミャンマー連邦共和国|Myanmar」バガン遺跡にて。

海外に行くと何にもとらわれることなく、自分を解放できる感覚がたまらなく好き。
日本では到底起ることのない場面に遭遇したときの自分の行動・思考は、新しい自分に気づかせてくれる。
そんな非日常を求めて、20代の私は度々海外を訪れていたんだろう、と思う。

そして転職しようと決めたとき「海外で働いてみたい」という小さな、でも強い願望が私の中に芽生えた。そこからめぐり巡ってご縁をもらったインドネシア・ジャカルタでの就労。
願いは、想いは、実現する。

ジャカルタに移住してすぐ迎えた私の誕生日。
何者かもわからない私のために、サプライズでお祝いしてくれた同僚たち(涙)

言葉も、何もわからない私を無条件に受け入れてくれたオフィスのみんな。
移住の決断をするまでは乗り越えること、不安が毎日押し寄せてきて生きた心地がしなかった。
書ききれないくらいたくさんの出来事と経験と、言葉にならない想いがあるジャカルタでの一年。この一年は私の人生にとってギフトだったなと思う。未来の私に、この時間を残せたことがとっても誇らしい(ありがとう、私!)。

3. 結婚

インドネシアでの一年のワークライフを終えた私は、ほどなくして結婚した。
私の人生での一番の幸運は、彼と出逢えたこと。と迷わず言えるくらいに、私の人生を変えてくれた人。

私にはどうしても認められない自分の嫌いな部分があった。自分のことなんて好きになれない、そう苦しんでいた時期もあるくらい。
ただ彼は「そこがあなたの一番いいところ」と言い切ってくれた。
私は自分のことを認められないけど、いつも隣にいてくれる彼がいいって言ってくれる、その現実が夢のようで、勝手に背負ってきたものがすうっと消えていく感覚があった。
私はそのとき、人生の中で「最強の自分」になれたと思っている。
何をしても、何を言われても、この人がいるならそれでいいじゃんって。

足腰が弱くなって長距離移動がむずかしくなった祖父母へ、山形での小さな結婚披露パーティ。
私の夢がひとつ叶った瞬間。

知らない世界をいつも見せてくれる彼を、私は尊敬している。
そして私も彼に負けないくらいに自分の人生を輝かせようと思っている。

私の生まれ育った町、にて。

36年間を振り返って、もやがかかっていた私の人生は実は宝物でいっぱいだったことに気づいた。ただそれと同時に、人生には光と影ががあることも実感している。
日々や仕事のことも、これから書いていきたいと思います。

私をかたち作る3つのこと、読んでいただきありがとうございました。
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