自然農との出会いがトリガーになって、地方移住を決意したピアニストのこと episode3 【地方から東京の音大へ、そして葛藤の日々】
それは、ほんとうに“挫折”や“失敗”なのか
あるいは、成長の“前ぶれ”なのか
それを客観的に判断するのは
なかなか難しいことだと思います。
その時は、未来という出口を照らす光がみえなくて
もがいたり、悩んだりするかもしれないけれど、
あきらめず、ひたすら歩き続けているうちに、
光は自分で作れるんだ
と気づくときがやってくる。。
そのとき、それまで“失敗”だと思っていたものは
成長への“栄養”となって、
豊かな実りをもたらしてくれることになります。
中学時代、父の転勤によって
名古屋から仙台に引っ越したときには
新しいピアノの先生の指導方針の違いやら、
英語の先生の
東北弁にしか聞こえない英語の発音に
戸惑ったりしましたが、
担任の先生に恵まれたこともあって
なんとか第一志望の高校に合格。
ピアノのレッスンと、
ピアノ以外に必要な音楽理論、ソルフェージュや聴音を
それぞれ、地元の音大で教授をなさっている
2人の先生にお習いするのと並行して、
受験する東京の桐朋学園大学の先生のところにも
月にいちど、レッスンに通うことになりました。
通うことになりました…と
さらっと言ってしまいましたが
これは、いろんな意味で大変なことでした。
まず、レッスン代がたくさんかかる。
交通費もたくさんかかる。
もちろん、時間もたくさんかかる。
父は、普通のサラリーマン。
中学時代、無理をいって
グランドピアノを買ってもらったというのに、
さらに、わたしのレッスン料のために、
かなり家計を圧迫してしまいました。
母はついにパートにでることに…(>_<)
しかも、それまで地元で習っていたピアノの先生が
ある時、「あなたに教えることは、もうありません」
…と、おっしゃって、
それ以降、わたしのレッスンは東京の先生だけに…。
つまり、東京に通う頻度が高くなってしまったのです。
その時のわたしは、練習時間を確保するために
部活にもサークルにも所属せず、
授業が終わったらいちもくさんに帰宅するという
筋金入りの、“帰宅部”。
そればかりか、学校ではわずかの休み時間も惜しんで
音楽室にもぐり込み、ピアノを弾いているような、
余裕のまったくない状態だったので、
レッスンのためとはいえ、
それでまる1日が潰れてしまうのは
気持ちのうえでも、負担になりました。
東京にレッスンに通いはじめた当時は、
まだ東北新幹線が開通していなくて
L特急“はつかり”なんていう
昭和レトロな電車でした。
途中、黒磯あたりで送電線切り替えのために
一瞬、車内が暗くなる…なんていう
今では信じられないような鉄事情だったんです(笑)
もちろん、所要時間もめっちゃかかりました。
それに、音大教授をしていらっしゃる先生のレッスン料は
いわゆる“町のピアノの先生”とは当然のごとく異なり
ここだけの話、先生によっては
レッスン料が一桁違ってくる場合すら、あります。
わたしがお習いした故・林秀光先生は、
かの有名な小澤征爾さんの母校、桐朋学園の主任教授で
素晴らしいピアニストでいらしたことを考えても
とても良心的にみてくださったのは、幸運なことでした。
でも、レッスン料に加え
東京までの往復交通費もかさむのですから
3人姉弟の家計に大きな負担をかけていることくらいは、
理解していました。
東京の音大を目指したい、と言ったとき
両親に反対されたのももっともだ、と、わかりました。
家族に申し訳ない。
これはぜったいに結果を出さなければ、、
そんな“りきみ”、“焦り”が演奏にも出てしまい
気持ちばかりが先走ってしまうのをコントロールできず
落ち込むことがふえました。
同時に、
地方に住んでいるというこがハンデになって
最高の教育を受けたい、という気持ちが叶わないなんて
なんだか理不尽、、、
…と、やるせない気持ちにおそわれるようになりました。
でも、それがきっかけとなって
ある思いが、むくむくと湧きあがってきたのです。
“わたしがもし、ピアニストになって
ひとを指導する立場になったら
地元のひとに無理なく受けていただけるレッスン料で
東京の先生にも負けないような
“音楽のよろこび”を伝えるレッスンをしたい…”
それまでの、漠然とした
“ピアニストになりたい”という夢物語ではなく
自分の将来の在り方について、
一歩ふみこんで具体的に発想できるようになりました。
振り返ってかんがえると、それは、
葛藤や悩みを経験したからこそだと思います。
あっという間に月日は流れ、高校生活最後の学年に。
幸い桐朋学園大学に合格することができましたが、
自分が理想とする演奏に近づくことができないまま
どんどん月日が過ぎていきました。
そして、友人にめぐまれ寮生活を楽しむ一方で
またも大きな壁が立ちはだかるようになってきたのです。
それは、、
「日本人である自分が、西洋音楽を極めようとする意味は、どこにあるのだろうか?」
というものでした。
明治維新以来、日本人がそれまでの良き伝統を否定し、
自分たちのアイデンティティをわきにやってまで、
盲信的に西洋文化を取り入れた延長線上に
自分も、立っているように思われてきたのです。
「わたしは、ポーランド人が魂で弾くショパンや
ドイツ人が弾くバッハのような演奏は、
どんなに逆立ちしても、できない…」
それまでは、とにかくピアノが好きで好きで、
楽しくてしかたなくて、
憧れの音大に入ることを目標に
夢中で精進を重ねてきました。
目標をひとつずつ叶えてきたというのに、ここへきて
どぼーーーん!!
…と、大海原のまんなかに放り出されたように
進むべき方向を見失ってしまったのです。
(episode4に続く)
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