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"フレーズを長く"について考える

先日、レッスン中に、中学1年生の生徒から質問を受けた。

「"フレーズを長く"とは、どういう事ですか?」 

生徒である彼女とは、去年の暮れからの付き合いになる。幼少の頃から、コツコツと誠実に音楽と向き合いながら続けてきたのだろうと思う。今も、ピアノだけに留まらず、あらゆる場面から音楽を楽しんでいる。
昔からコンクールの講評で「フレーズを長くとりましょう。」という指摘を受け、気にしてはいたけれど、それが具体的にどういう事なのか、明確な説明を得たことはなかった、との事だった。

思い返せば私も、彼女とのレッスンの中で『フレーズを長くとるためのあれこれ』には言及していたけれど、「フレーズを長くとるためにはこうするんどよ」と、まとめて説明した事はなかったな、と気づいた。

(ここから先のフレーズについての話は、ピアノを演奏する上で、を念頭に置いた話です。)

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フレーズとは、音楽における文章的、もしくは段落的なまとまりである。どこからどこまでをひとまとまりと捉えるか、が実は演奏者によって違う。

これについては、大きな国際コンクールの評などでもしばしば論じられていて、こと日本人はフレーズが短いと言われがちだ。

フレーズが長く捉えられないということは、音楽が細切れになってしまうことであり、そうなると、全体の構造が見えにくくなってしまう。
また、推進力に欠ける演奏になり、曲の持つエネルギーが停滞してしまう、ということも言えるだろう。

ピアノでフレーズを作るために私がまず必要と考えるのは、音を繋げられること、即ちレガートで弾けるということだ。例え全てスタッカートで弾く時でも、音と音の間は、レガートで弾いた時のような緊張を持つ。ひとまとまりのフレーズの中では、手の内や指の間の緊張を解かずにいると良いと思う。

また、和声が曲の土台を作っているクラシック音楽では、その和声がもたらす緊張と緩和が大きなまとまりを作っている。
私は和声を"波"のように感じている。個々の色合いを持つ和音同士が結びつき、大きな勢いを持って流れていくようなイメージだ。
和声の波とフレーズを一致させようとすると、メロディーラインだけを見て弾いているより遥か先に"緩和"ポイントがあったりするし、メロディーにある長い音や休符が必ずしもフレーズの終わりではない事がわかる。

それから、音の先を聴くこと。フレーズの途中にある音が、その先の音と繋がる伸びや音色を持っているか、ということだ。特に、長く伸ばす音とその次の音の間には、"音の減衰"という現象が入るので、フレーズが続いている意識が切れやすい。その減衰している音の末端まで聴いていることも大事だし、長く伸ばす音がdiminuendoのテンションなのか、crescendoのテンションなのかによって、そもそもの打鍵も変わるだろう。

(余談だけれど、私はおよそ72のテンポで6拍間減衰しない音が鳴り続けた演奏を聴いたことがある。。しかも7拍目が次の音だっただけで、もっと伸びた可能性もある。レガートについても難しいと感じているのだけれど、音が減衰することについても、まだまだ研究する余地があるなぁ、と思う今日この頃。。)

そして一番大事なのは、それらを俯瞰して聴ける耳を持つこと。どんなに手の内に緊張を保っていようが、和声を勉強しようが、指にばかり意識があるうちは、当然全体のバランスが狂うし、聴く人にも"フレーズ感"は伝わらないものだ。

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と、いうような事を、彼女が練習中の曲でいろいろな例を弾きながら説明したところ、
「はぁぁ、なるほどぉ〜、なんかわかりました!」
と、言ってもらえた。
質問や意見が遠慮なくバチバチ(いい意味で)行き来するレッスンでありたいなぁ、と思っている私には、こういった質問が出ることは嬉しい。生徒たちに学ぶことも本当にたくさんある。

ちなみに、そもそも"繋がっている"感覚がつかめていなそうな生徒に出会った時には、まず小さなかたまりの間に、「◯◯なことがあって、◯◯なんだけれども、◯◯だと思って、しかも◯◯で、◯◯となったんだよね」的な接続詞を入れて、なるべく本人の興味を持ちそうな話で当てはめてみている。

しばしば議論に挙がるこの"フレーズを長く"というフレーズ。皆さんはどのようにお考えですか?



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