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もうすぐ右乳房とお別れします

手術が近づいてきた

手術の日にちが決まった。あと約2週間で手術を受けることになる。私の右乳房と腋窩リンパ節は全て摘出する予定となっている。

先日のMRI検査では、抗がん剤が奏功し腫瘍が大幅に縮小していることが分かった。でも、たとえMRIでほぼ消えたように見えても、細胞レベルで残っている可能性があると医者は言う。実際に取り除いた組織を検査してみなければ、どの程度がんが残っているかは分からないそうだ。

私の乳がんは悪性度が高く、最も予後の悪いトリプルネガティブ。なので、乳を残しておくことは命に係わる。医者からは全摘を強く勧められた。自分でも、乳房を残すことはリスクが大きいと思うし、全摘することに決めた。

乳房を失うことに関しては納得している。寿命を縮めるよりは乳房を失う方が断然良い。これからも生きてやりたいことがあるし、まだ死んでいる場合じゃない。

でも、でも、でも・・・・

体の一部を手術で取り除くなんて今までの人生で初めてなわけで、ビビッてないかといえば嘘になる。乳を残したいかと問われれば、正直な気持ちはイエスである。

乳房への愛着

内臓の手術と違い、乳房の手術は外見が大きく変化することが一番のダメージだと思う。これからは、毎日お風呂の鏡を見るたびに、乳房を失ったことを意識させられるのだ。

別に自慢できるような乳房ではない。どちらかというと、かなり控えめで存在感の薄い乳ではある。ブラジャーが嫌いなこともあり、ケアも満足にしてこなかったから、若干たれ気味の私の乳。人様に自慢できるような代物ではない。

それでも、私にとっては大切な体の一部であるし、正直に言うと愛着がある。

そして忘れられない思い出もある。



授乳の思い出

例えば、娘が赤ん坊だったとき。私の右胸は乳首から溢れんばかりの母乳を出し、娘の小さな胃袋を満たしてくれた。

あまりに母乳を量産するもんだから乳腺がものすごく痛くなり、泣きながら助産師さんにマッサージをしてもらうこともあった。夜の授乳は眠いし、胸が張るのも不快だったから、授乳を早く終わらせたいと当時は思っていた。

でも、今思えば、小さな娘を抱いてお乳をあげていた時間は、ほんの一瞬だったように感じる。とても貴重で愛おしい時間だった。

娘が大きな口を開けて私の乳首をふくむ様子は本当に可愛かった。その真剣な目はサルの赤子のようだったし、まだ髪の毛の薄い頭からは甘い匂いがした。娘が乳を飲み終わった後に出す満足げなゲップを聞くのも好きだった。

母親として娘にお乳をあげたこと。それは私にとっても娘にとっても大きな意味をもつ。あの時期、私と娘の体は乳房を通じて繋がっていた。私は乳房を経由して、私の栄養、愛情、温もりを与えていたのだろう。娘はそれらを受け取り、私を信頼し、安心して、すくすく大きくなったに違いない。

そうして、私たち親子の絆ができていったのだ。

当時は何も考えず、ただの義務感で授乳をしていた。睡眠不足で精神がグズグズで、育児に自信が持てなくて、母親として劣等感を感じていたけれど、私はあの頃の自分を褒めてやりたい。きちんと母親できていたじゃないか!えらいぞ!

そして、どんな形や色であれ、たとえ満足のいくような美しさを備えていなくたって、私に一対の乳房が存在していたことに感謝したい。お陰で私は女として、母親として、想い出に残るような素敵な経験ができたのだから。

自宅のチューリップ

乳房を失うこと

私の命と引き換えに葬り去られる右胸のことを思うと寂しいし切ない。でも、ガンになったのが乳で良かったのかもしれないとも思う。日々の生活が忙しく、体そっちのけで生きてきた阿呆な私でも気づきやすいように、乳房がガンを引き受けてくれたのかもしれない。

あるいは、そんなのは私の都合の良い解釈かもしれないが。

手術が嫌なわけではない。むしろ手術を受けられることは有難いことだと思っている。世の中には手術が受けられないほど病状が進行している人や、病巣の位置的に手術が不可能な人だっているのだ。

それに人間に生まれてきたから現代医療の力を借りて臓器を切除し復活することができるけど、もし私が野生動物だったら、じわじわと死んでいくだけだったぞ。神様とご先祖様には感謝しなくちゃな。

手術をして失った胸を見て、私がどんなことを感じるかは分からない。喪失感に打ちひしがれるのか、平坦な右胸を案外気に入るのか・・・。

一時的に凹んだとしても、失ったものを嘆きながら生きていくのは御免である。だって乳房があろうとなかろうと、私は私である。女性の身体的な特徴である胸を失ったって、私が女性であることに変わりはない。

私がどんな体になったって、家族や友人は今と変わらず私を愛してくれるだろう。そのうち私自身も、新しい体を受け入れられるようになる気がする。

そして、いずれ気づくはずだ。体の一部を失ったって、自分の存在価値は決して損なわれていないということに。

だから、私は右胸を失っても大丈夫。
手術、がんばります。


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