馬鹿な女

 大学の外階段の、踊り場にある喫煙所で私は煙草をふかしていた。本当は自販機に飲み物を買いに行こうと思っていたのに、すぐ下の階から話し声が聞こえてきたから。
 見なくても声で分かる。同じゼミ生の木下と、相手もゼミの後輩の女の子。木下はボソボソと喋っていて、女の子はすすり泣くような。

 なんでこんなところでやるかなあ。

 気持ちがザワザワして、私は頭を振って嫌な考えを追い払おうとする。煙を深く吸い込んで、それから時間をかけて、細く長く吐き出した。

 三本目の煙草に火をつけようとしたとき、ふっと顔に影が掛かって、みるとすぐそばに木下が立っている。

「わりいな」
「……なにが?」
「聞こえてたろ? さっきの」
「こんなとこで痴話喧嘩しないでよ」
「ごめん」

 その声は本当に申し訳なさそうで、それが余計に私をイラつかせる。

「ていうかゼミ内に恋愛関係持ち込むのやめてよ。やりづらくなるじゃん」
「そんなこと言われても。だってあっちから来るんだよ」
「なんであんたみたいなのがモテるのかね」
「分かんねーけどさ。女の子ってなんでこんなに面倒なんだろ」
「……あたしだって女なんだけど」
「お前は特別。めんどくさく無いしカッコつける必要もないし、だから楽なんだよな」
「……」
「なあ、今日、ウチ来る?」

 困ったような顔でそう言うから。
 私は黙ってうなずいて、三本目の煙草を灰皿に投げ入れる。

「シャワー浴びるだろ?」
「うん」

 私はいつものように、棚から勝手にタオルを取り出してバスルームに行く。そこにはちゃんと私用のシャンプーとボディーソープが用意されていて、私はお湯を目いっぱい熱くして身体を流す。気持ちごと洗い流してくれればいいのに、と思いながら。

 いつから関係が始まったのかは憶えていないけれど、木下とはもう随分長い。同級生で取ってる授業が似てたから、一緒に過ごすことが多くなって、自然とこんな風になった。
 木下は昔からモテたけれど、その代わりいつも長続きしなかったから。木下が女の子と上手くいかなくなると、私と寝る。ただそれだけの関係。木下がどう思ってるのかは知らないけれど、私もそれを拒否したりしなかったし。

 シャワーから出ると、木下はベッドに腰掛けて、昼間から缶ビールを飲んでいる。
 近づくと木下は何も言わずに私のブラウスを脱がせにかかる。私はされるがまま。ただ彼の身体の重さを感じている。

 ねえ、こうやってさ。いつもあんたは自分のことばっかり。私がどんな気持ちで抱かれているかなんて考えもしないんでしょ。
 けれどそんな言葉は言えないまま。木下は呆れるくらいに私の身体を知り尽くしていて、彼に触れられるだけで私はもう何も言えなくなる。

 事が終わったあと、私は手早く服を着て、ベッドに寝転んだままの木下を見下ろしながら煙草に火をつける。そういえば私が煙草を吸い始めたのは、木下と寝るようになってからだなと思いながら。

「なんで俺、いつも上手くいかないんだろうな」
 木下が言う。

「知らないよそんなの」
「なんかさ、優しすぎるのがダメなんだって。いつもそう言われるんだ」
「優しいって、あんたが?」

 乾いた笑いが、煙と一緒に漏れる。

「出来るだけ優しくして、ワガママだって聞いてあげてたのに、それが良くないんだって」
「誰にでも良い顔してるだけでしょ、それ」
「あはは。そうかも。なんか不安なんだよね、そうしてないと」
「私は?」
「お前は別。だから気楽でいれるんだよ」

 そんなことを言われてどんな顔をすればいいのか分からなくて、私はまた煙草に火をつけた。

 それから数日して。いつもみたいに喫煙所で煙草を吸っていると、目を腫らした木下が「よお」と声をかけてきた。
 ここしばらく木下とも後輩の彼女とも会ってなかったけれど、様子を見るにやっぱりダメだったみたいだ。

「煙草、一本くれよ」
「あんた吸わないじゃん」
「良いだろ。今日くらいは」

 私が差し出した煙草に火をつけて、木下は軽くむせた。目の端に浮かんだ涙を拭って、言う。

「ふられたよ」
「だと思った」

 私は煙を吐き出すフリで、そっと顔を逸らす。

「本気だったんだけどなぁ」
「そうね」
「やっぱり優しすぎるんだってさ。優しいって何なんだよ」
「きっと考えたって分かんないよ。あんた馬鹿だから」
「そうだな。馬鹿だ」

 きっと木下は、この後また、ウチに来ないか? と私を誘うのだろう。
 私はきっと、断りもせずに、また彼に抱かれるのだ。

 木下よりも、私の方がずっと馬鹿だ。

 だけど木下をふった彼女も、同じくらい馬鹿な女。木下のことを優しいと評するなんて。

 彼が優しくなんかないということを、私だけが知っている。

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