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【雑文】小説の書き方は彫刻に、雑文の書き方は発掘に似ている

 
 どうやら昨日の投稿で、100日連続更新を達成したらしい。
 
 noteを始めたときの自分なりの努力目標として、とにかく毎日何らかの更新をしようと思っていたのだけれど、こうして100日という数字を見ると、随分遠くに来たものだなと思う。
 
 僕はもともと飽きっぽい性格で、当初はnoteの更新も続いて10日くらいだろうと思いながら始めた。それが30日を越え50日を越え、こうして100日更新を達成できたのは、ひとえに毎日読んでスキやコメント、フォローをしてくれる皆さんのおかげだと思っている。
 
 さらに昨日、以前書いた文章が、note公式のエッセイ記事まとめというマガジンに入れて頂いていた。

#エッセイ 記事まとめ 

 どういう基準で選出されているのかはよく分からないけれど、おかげで読んでくれる人が少し増えたようで、大変ありがたいことだ。
 
 とりあえずはこれで一応の区切りがついたので今後は少しペースが落ちるかもしれないけれど、できるだけ更新は続けていきたいと思っているので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
 
 これで100本の記事を書いたことになるわけなのだけれど、大体1つの記事につき文字数は1500文字前後なので、単純に考えてこの100日間で15万文字ほど書いたことになる。
 一般的な文庫本の文字数が10万~12万文字と言われているので、文庫本1冊以上の文字を書いたことになる。
 
 実際には小説は過去作の転載だったり、記事によって文字数がばらつきがあるのでもう少し減るかもしれないけれど、大体1冊分くらい書いているわけだ。

 ところで、僕は小説も書くのだけれど、正直に言って筆は遅い方だと思う。
 平均すれば多分、1日当たりの小説執筆文字数は300文字くらいだろうし、そもそも何も書かないことの方が多い。
 
 ちょっとした短編を書きあげるためでも何週間かかかってしまうし、長めの話を書こうと思ったら年単位の時間がかかる。
 そうして手をつけたまま、書きあがらなくて放置している物語がいくつもあるくらいだ。
 
 雑文は毎日1500文字を書いているのに、この違いはなんなのだろう。
 
 僕が思うにそれは、書き方の違いにあるのだと思う。

 小説の書き方は人それぞれだろうけれど、僕の場合は、完全にプロットを立ててからでないと書き始められない。
 
 プロットも何度も書き直す。
 初めは簡単なコンセプトから始まって、起承転結をまとめたあらすじ、それを区切った章ごとのあらすじ、章の中の節の詳細プロットまで、荒いところから粒度を細かくしながら詰めていく。
 そうしてそれに沿って肉付けする形で、段々完成原稿へと仕上げていくのだ。
 
 こうした小説を書く過程は、彫刻に似ていると思う。
 
 石の塊を精巧な石像にするためには、まず大まかな輪郭に合わせて大雑把に余分な部分を削り落としていく。それから完成形に向かって、さらに細かい部分を掘り出していく。
 
 石の塊から石像まで、より荒いところから細かい部分まで、順番に掘り出されるものが、僕の小説の書き方なのだと思う。

 一方で、僕の雑文の書き方は発掘に近い。
 
 前にも書いたような気がするけれど、僕は雑文を書くときにはプロットを立てない。
 
 ネタ帳というテキストファイルがdropbox上にあって、そこに1行程度のメモ書きを残しているのだけれど、そのメモを手掛かりに思いつくままに書き連ねて、一応のオチがついたところで投稿する。
 例えば今書いているこの文章であれば、そのスタート地点は「100日連続更新」だけだった。
 
 だから書いている途中で予想外の方向に展開していくこともあるし、考えもしていなかった結論に至ることだってある。
 論理が飛躍するときも多ければ、話が繋がっていないこともあるだろう。
 
 それはよく言えばその場のノリで、悪く言えば思い付きだ。
 気ままにスコップを入れていくことで、自分の中から何かが掘り出されてくる。それは思いがけないものだったりすることも多いけれど、ある意味ではそのランダム性が面白いと思う。

 彫刻的な小説と、発掘的な雑文。
 どちらが良い悪いという話ではないけれどこうして改めて考えてみると、同じ文字によって成り立つものなのにその性質がまるで違っていて、そこが面白いのだと思う。
 
 

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