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【雑文】昔の仕事に思うこと

 高度情報化社会なんて言葉が言われだして随分久しいけれど、僕たちが住む現代日本は相当に情報化された社会になってきたと思う。
 最近ではスーパーシティ構想なんてものも出てきたらしくて、まあそれも社会のIT化の一つなんだろうという理解でいる。法案内容は詳しくは知らないけれど。
 
 こうした社会に住んでいるとそれが当たり前だと思ってしまうけれど、インターネットが無いような昔の時代の人たちはどうやって仕事をしていたのだろうかとたまに疑問することがある。
 もっと言えば、電話が無いような時代ともなると全く想像もつかない。
 
 僕の会社の業務内容は、ごくごく簡単に言うと、注文を受けた商品を客先に納品する仕事だ。
 そうした注文は基本的にメールや電話で受ける。たまにFAXで届くこともあるけれど、今となってはそれも稀だ。
 商品を仕入れるにしても、仕入れ先に電話やメールで注文を流す。
 
 僕の会社は創業60年ほどらしい。ということは初代社長の時代には電話もろくに普及していないようなころだったはずで、その次の代にはFAXが、そして現在ではメールが普及していったのだと思う。
 
 では、初代のころには注文はどうしていたのだろう。
 直接注文をしに来るのか、あるいはこちらから聞きに行くのか。それともタイムラグを承知で郵便によってやり取りをしていたのだろうか。
 
 僕は営業職なので今でも客先を回って注文を取ってくることはあるけれど、もしかすると昔はそうした外回りをひたすらしていたのかもしれない。
 そう考えると今の時代は随分効率的になったものだと思う。

 PCが無い時代には伝票も帳簿も、全て紙に手書きだった。何か記録を残そうと思っても、紙をファイルして保管していた。
 うちの会社のような小さな会社であればまだ何とかなると思う。倉庫の整理をしていると、20年前くらいの手書きの帳簿がうっかり発掘されたりして、当時は大変だったのだろうなと想像を巡らせたりする。
 
 けれど例えば役所なんかになると、数千件、数万件の情報を毎日のように管理しているわけで、手作業でそんなことをどうやっていたのだろう、と途方もない気持ちになる。
 
 結局人をたくさん使って、マンパワーで無理やり解決するしか方法は無かったのだろうけれど。

 人間一人が処理できる情報量は昔に比べると遥かに増えて、処理できるスピードも格段に早くなった。
 
 たまに言われることだけれど、中世の時代の人が一生で目にする情報量は、現在の新聞1部と同じくらいだったと言われたりする。
 それが何を根拠に試算した数字なのかはよく分からないけれど、少なくとも、それほどまでに人が得る情報が増えたということは間違いないだろうと思う。
 
 上に倣って言うならば、現代の人間が一日に処理する情報量は、もしかすると江戸時代換算では一年分くらいになっているのかもしれない。
 
 それでも不思議なことに、仕事は一向に楽にならない。
 それは情報量が増えた分だけ、仕事の量もどんどん増えていくからだろう。
 
 電話からFAXやメールに仕事が変わっていったように、今後新しい技術が登場して、もっと仕事が楽になることはあるだろうか。
 行きつく先は、AIに仕事を奪われるとかそんな未来なのかもしれないけれど、楽になるならそれでも良いかな、と思う。
 

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