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2022年→2023年創作TALK

いつも繁忙期で忙殺されている間にやり逃していた創作TALKにようやく参加できました!せっかくなので、応援したい方の閲覧&投げ銭用に作ったnoteも初めて使ってみます。

コロナ禍&二度の手術からの復帰

コロナが流行し始めた2020年1月の文フリ京都を最後に、イベント参加を停止していました。
職業柄、感染が許されないというのと、高齢の家族と同居しているため、買い物、仕事、病院以外の外出も禁じていました。(当時はワクチンも無かったのでね…今は緩くなった)
そんな生活が続く中、2021年2月に悪性の腫瘍が発覚、3月に手術、5月再手術、他の場所は経過観察という形で、私自身が創作どころの騒ぎではなくなり、日常生活を取り戻すための1年を過ごし、ようやく私が社会復帰を果たしたと思った矢先に、2022年は母が心臓と肺で二回の手術…という呪われてんのか状態で、自分と家族のリハビリに奮闘することに…。(コロナ禍の入院、する方も、される方も大変でした…)なんなら、犬も手術したしな…。
めっっちゃくちゃ大変ではありましたが、優しく声をかけて下さった方々に励まされ、日常生活も取り戻し、ワクチンも3回打ったぞ!ってことで、2022年9月の文フリ大阪に出ることを決めました。

めっっちゃ大変だった時のこと・創作リハビリ

話は前後しますが、イベント出るぞ!ってなるまでの事を少し。
退院当初は、普通に夜眠くなったら寝る、というただそれだけの事すらできなくて、傷が塞がって、体力が戻りつつあっても、心が全然追いついてない期間が半年くらい続きました。
本も読めなかった。ドラマやニュースもダメだった。漫画とバラエティー番組とゆる系アニメだけはなんとか大丈夫だった。(ものによるが)
その期間は、ZOOMなどで元気になったらやりたいことを聞いてもらったり、イベントや創作の現状を聞いたり、お互いの読んだ漫画の話をしたり、してもらって、そうして会話した日は比較的長く眠ることができた。
そうやって、数名の方にだけ全部話して、徐々に以前の自分を取り戻していって、Twitter復帰することにした。

全部話すと人によってはクソ重い話が含まれるので、漫画という形でやんわりご報告した。その際に頂いた温かいコメントの数々、一生忘れません。
幸い、身の回りのことは自分で出来たので、料理を毎食Twitterにアップし始めた。立ち作業は辛いので、サッと出来るものだった。別に難しい料理でもない、ありもので作った、映えない料理に「いいね」を頂いたり、コメント頂いたりして、自分が創ったものに対し何かが返ってくるという有難さを噛みしめた。
生産性を失ってしまった自分に対する、罪悪感や喪失感とか焦燥感みたいなものがあったんだと思う。病で失ったものは戻らないという現実と、生活だけでも早く元通りにしたいという焦り。それが眠れなくさせる原因だったんじゃないかと、今振り返って思う。(その時はもう、何が原因だか分らんし、体は勝手に夜中に呼吸困難起こすしで、考えても仕方ないとか頭で分かってても冷静になれんかったんですよね。自分みたいな図太い神経の人間がそんなことに悩むことになるとはですよ…ふしぎ…)

そうやって、何かを創る、生み出す、という行為に対し、他人から価値を与えてもらうことによってしか補えないものが人間にはあるんだろうと思う。承認欲求とは少し違って、数は必要ない。自分にとって大事な相手が反応を返してくれることは、自分を見ていてほしい人に、自分がちゃんと見えているという安心感が得られるんだと思う。
それが、自分という存在を肯定してもらうことに繋がっているんじゃないかな。
大げさに誉めてもらわなくても、「いいね」「がんばってるね」だけで十分なエネルギーを頂ける。究極「生きててえらい」くらいの肯定感になる。
もし、同じような辛い状況の人がいたら、料理とかでいいから、毎日何か作って人に見せて「いいね」してもらってみてください…ちょっとは上向くかと。

話は逸れましたが、そうやって、すこしづつ創っては見せてを繰り返すうちに、創作に繋がることも出来るようになってきました。
一つは、和菓子のイラストとそれにまつわる行事や伝統を調べてメモした一枚絵を不定期でアップしていました。月1くらいのペースでしたが、いいリハビリになりました。
次に、考察まではいかないけど、文学作品の見所などをレジュメにして、ZOOMでお話する会を3度開きました。「考察教室」シリーズを再開させるのにあたり、調べたことをまとめる力と伝える力が自分に今どのくらいあるのか、術後の体の劣化や薬の影響によりどのくらい思考に靄がかかっているのか、そういったことを確認する作業が必要でした。その節はお付き合いいただきありがとうございました。
あと、ワクチン3回目終えた後から、ずっと行きたかった展示や舞台を見に関東などに遠征して、展示などから刺激を受けたことも大きかったです。
インプットからアウトプットの流れが思い出せた。
その際、現地で知り合った方や、以前から仲良くさせていただいている方に、自分の考察を聞いてもらたりして、「もっと聞きたい」という反応を頂いたことも大きかったです。どこがどう面白いと感じてもらえるかの匙加減を測るのに参考になりました。話を聞いてくださった方々に感謝。
そして、<創作>の復帰第一段として、以前参加させていただいていた、「300字SS企画」さんに参加しました。ちょうど「影」というお題だったので、ミステリなら書きやすいなというのと、まとめる力、伝える力の現状を測るのにも最適だと思ったので。
これで何も浮かばんかったら、新刊もイベントも延期しようってなってた。
無事、お題で300字書けたので、じゃあ、次は本だなと。
本出すならイベント出ようか、と。

イベント復帰に向けての新刊制作

新刊ないのにイベント参加を再開するのも勿体ないので、「考察教室」の新作を書くことにしました。(女子はまだ私の中に降りてこないので…)
「考察教室」は大学の夏期講義を受ける学生が主人公で、その授業内容がそのままストーリーになっているため、当たり前ですが、基本教室から出ない…。
この作品でやっておきたいテーマのひとつに<フィールドワーク>と<国語教育>というのがありまして、じゃあ、教科書四天王のから選ぼう!となり、芥川は何度もやった、漱石もやったし今後もやる予定、鴎外か敦か…ってなると、『山月記』のフィールドワークは無理→鴎外にしよう!と、流れるように決まりましたね。
ちょうど、以前大学に提出したレポートで『高瀬舟』を選んだことがあるのと、知り合いの古書店さんが下鴨納涼古本市に出店されるので、顔見せに行く用事もあったので、作品の舞台になった高瀬舟も見られて一石二鳥でした。さらに、日本近代文学館さんが主宰する夏の講座も<国語教育>がテーマだったので、ZOOMで参加して拝聴できたのもタイミングが良かった。
とんとん拍子に資料が揃い、<フィールドワーク>担当として作ったキャラも予定以上に動かしやすくて、お盆の繁忙期を挟んだものの、200頁の新刊が割とアッサリ出来上がりました。
たぶん、飢えてたんだと思います…。シリーズ通して読んでくださった方は分かるかと思いますが、教室を飛び出しての番外編という免罪符を盾に、明らかに羽伸ばし切ってやりたい放題やってますね。城崎回と同じくらい楽しかったです。(そして同じくらい暴走している。主にミステリ要素が)

2022年9月文学フリマ大阪

そうやって出来た新刊を携えての久々のイベント参加。
リハビリに付き合ってくださった皆様のおかげで、新刊は比較的安産でしたが、イベントが久々過ぎてドッキドキでした。隣接参加していたので、お隣はお知り合いだから心強かったけど、一人だったら逃げたいくらいの気持ちで会場入りした…。
けど、会場10分くらいで、フォロワーさんが来てくださったり、そのあとも、関東からお世話になってる方が様子見に来てくれたり、馴染みあるミステリ書きさん、Twitterでお声がけ下さる創作仲間の皆様が、自分の予定の中に組み込んでブースに来て下さったので、逃げなくてよかったと思ったし、そのときようやく「ああ、ここに戻ってこられた」って実感が沸いた。

4冊以上続くシリーズ物しか選択肢が無いという、初見殺しのサークルで申し訳なさを感じつつも、コロナ前とそれほど変わらない売れ方(当社比)に一安心しました。
規模も大きくなり、知らないサークルさんも増え、お客さんの年齢層も幅広くなって、正直埋もれて、忘れられてるんじゃないかと思っていたけど、続きを買って下さる方を実際に見て、ちゃんと読んでくださっている方がいるんだって思えたし、口コミや見本誌で、新たに興味を持って下さる方がまだいるんだってことも分かって、心強かった。

それだけでも十分感無量で心のダムが決壊寸前だったのに、お手紙をもらったんですよ。
全く面識のないお嬢さんが「続きを買うために飛んできました!」って。
その方が下さったお菓子、静岡の銘菓なんですよ。(後から気づいた)
大阪ですよ、ここ。
つい最近まで、本も読めない、書けない、生産性がなくて自己を肯定することもできないって、夜まともに寝られなかった、こんな私に手書きの手紙をわざわざしたためてくれた。はるばる大阪まで渡しに来てくれた。ええんかこんなんもらっても。続きが面白いとも限らんのに、失望させたらどうしよう。
色んな感情が噴き出しすぎて、私もパニックになってて「せめてお名前を…」とかキモイこと言っちゃうし、むこうも「名乗るほどのものでは…」ってなっちゃうし、結局お会計したあと「大事に読みますね」って言ってくれたこととその背中だけしか覚えてなくて、アレ私の脳内の出来事では?ってなって、手元に残った手紙を見ると、やっぱ現実で。
もちろん、Twitterや感想フォームなどで戴く感想も、めちゃくちゃ嬉しいですし、そこに上下は無いんですが、なんというか、タイミングとか、その方の伝え方とか、表情とか、色んなものが重なったんだと思います。
そして、幻覚じゃなかったことを確認したくて、会場で手紙を開封してしまったんですよ。
泣きましたね。いや、泣くでしょ。
作品に対する温かい感想のあと、名字だけ控えめに書かれていたので、貴女に心の中で感謝するとき名前が呼べます、ありがとう。
隣が知り合いだと言う事と、その後すぐに別の方が来て下さったので、根性で涙巻き戻して、泣いたことは悟られないようにしましたが、家で読み返して、もっかい泣きなおしましたね。
そのお手紙は、今回(2022年年末~2023年年明け)の原稿執筆時にも、枕元に置いてお守りにしていました。(ごめんね、気持ち悪くて)

こういうのは、イベントに出ないと味わえない体験だなぁと。
お手紙の事だけじゃなく、お互いのブースに挨拶に行ったり、感想を直接伝えたりできるのも。
読んでくださった方の顔が見えること。
イベントって、本を売り買いするだけじゃなく、普段ネット上でお話したり、活動している姿を見ているひとが、ちゃんと現実に存在してくれているんだって確認できる場所でもある。
それがなくなった期間があったから、自分にとってそれがいかに大切なものかを思い知れた。
自分は戻って来れたけど、まだいろんな事情で戻れない人も沢山いる。
その人たちに悪いなって気持ちもあるにはあるけど、その人たちが戻れるようになったときに、場所が残っている為にも可能な範囲で参加しようとも思う。
復帰一発目のイベントを終えた感想。
読めなくなったとき、あきらめなくてよかった。
周りに人がいてくれてよかった。
折れなくてよかった。

2023年の創作について

はい、この記事書いてる今、新年一発目の文フリ京都が終わった直後です。
新刊、出せませんでしたね。ダメダメじゃん。
いや、〆切り3日前に原稿は出来てて、入稿するだけだったんですけど、諸々予定が狂ったのと、なによりページ数がね、アホみたいに狂いましてね…。珍しいんですよ、こういう狂い方。(むしろ背表紙同じ背幅になるように書くとかもやる)
このテの狂い方は、城崎回以来なんですが、アレも入れたい、これも入れたいに見切りが付けれなくなると、こうなるんだな…。学び。
ただ、普段バッサバサ切り捨ててるようなものも、とことん気の済むまでやったので、「考察教室」の賢治回は、今できる堺屋の全力パンチにはなりました。(ちなみに本編は授業という体なので、各時間同じような文量でないとおかしい為、論の切り捨てめちゃくちゃ多いです)

で、まずはその「考察教室」の賢治回を春のイベント(文フリ東京か岩手)で出して、その後は大阪でもう一冊「考察教室」の番外編出せたらと思います。
本編を閉じる前にやっておきたいテーマとして<作家の評伝><戯曲・演劇><文壇論争><推理小説><戦争><悪女><歴史>辺りは本編で触らないので、取り上げておきたいですね。
本編は、④巻が資料精査中のため、もう少し寝かせておきますね。

「オタレン」シリーズの最終巻も書き上げてしまいたいんですが、女子が降りてくるまでに、もう少しリハビリが必要なようです…。

2023年は、今の自分のペースをつかむことを目標に頑張ります。
まずは、春のイベントに向けて。

ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

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