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「こうしたいと思ったら『どうしたらいいと思いますか』は必要ないよ」

金曜、やっと金曜日だ。
今朝は朝食に食べようとしたシリアルにかけた牛乳が腐っていた。
賞味期限が日曜日だったので完全に油断していた。そんなことあるのか。
ほんのスプーン2口分ほどしか食べなかったし、すぐに体に異変は起きなかったので出社したものの、結局会社で一日中常にお腹が痛い人になっていた。

さて常に頭の隅に「お腹痛いな~」がある中で、私は自分の担当サービスの新施策の計画を立てていた。その方針について上司に相談する時間をもらっていた時に言われたとあることに、仕事とは関係ない部分で私はハッとした。

「こうしたいと思ってたら『どうしたらいいと思いますか』って相談は必要ないよ」

仕事内容は伏せた上で経緯を補足したい。
実は、相談といっても私の中である程度「こうしてみるのがいいんじゃないか」というイメージがある程度立っていたのだ。
それなのに、私の相談の仕方は「こうしたいのだが、その方向でいいでしょうか」ではなく「どうしたらいいのでしょう」だったのだ。

それで結果的に、必要以上に相談の時間がかかってしまった。それで言われたのが前述のセリフだ。
当然それは仕事の文脈での指摘だったのだけれど私は同時に別のことを連想した。

私はそもそも「こうしたい」と自分が思っていることを認識できていなかった。

私が自分が今回立てた施策案について、こうしたいと思っていなかったというわけではない。こういう施策がしたいと思っていることを全く認識していなかったのだ。「こうしたいと思ってたら…」と言われて初めて、この施策は自分はこうやって実施したいと思って計画していたことを発見したのだ。

計画をある程度立てていたのに「どうしたらいいか相談させてください」と言ったのは、質問の仕方を間違えたからでは恐らく無い。
「こうしたい」と思う前にまず上司の意見と答え合わせしてみて、一致した場合にだけ外に出す、もしくは自分の意見として認めるというプロセスを無意識に踏もうとしていたのではないか?

ハッとしたのは、「こうしたい」を伏せて周囲に「どうしたらいいと思うか」をこれまでも色々な場面でしてきたからだった。それを今回初めて客観的に指摘されたのだ。

自分は現在「欲しがる」ことがいつの間にか麻痺しており、今リハビリ中であることは以前の日記にも書いた。

もしかして自分の欲求をまずは他人の意見と「答え合わせ」して、できそうだったものだけ「やりたいこと」と思うようにしているのでは!?
主体性をもって「欲しがる」リハビリはまだ続きそうだ……

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