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♪『どうせいつか終わる旅を〜』BUMP OF CHICKENと私。

過去記事に、私は私を支え続けてくれた価値観(それは私の生死感そのもの、倫理観と合致するものだった)から『あえて離脱した』ことを書いた。大地が裂け深淵に堕ちていくような恐怖だったことも。どうやってその恐怖を乗り越え今私は正常な人間として生きているのか。その背景には、本や人や経験を通して学び続けることでたくさんの小さな勇気が心に芽生え育ったことがある。長い月日を要した。

最も苦しかった頃、自分そのものだと感じられた詩や歌がある。号泣しながら聴いた曲の一つに、BUMP OF CHICKENの一曲がある。(BUMP OF CHICKENを始め、心の支えになってきた様々な音楽について語ることは私の中であまりに膨大過ぎてnoteでは触れるまいとしてきた。でもこれだけ書いておこうと思う。)

今回、noteで実存的鬱を掘り起こしてしまい、さらに年齢や経験から至った鬱も加わり、二ヶ月余りの間死の淵を見る恐怖と向き合った。そしてもうずいぶん前に、BUMP OF CHICKENのその曲のことを「幸福論」みたいな視点から切り取って書いた過去の自分のブログ記事を、なぜか偶然開いて見返していた。家出をした帰り道のことだ。積極的分離を考えていた最中のこと。もう一度同じ曲を思ったとき、新たな解釈が加わり追記した。
そして今でも、私はこの曲を聴くたびに、孤独な闘いと心に生み出した生きる勇気のことを振り返る。間違いではなかったと確信を強める。

教わらなかった歩き方で注意深く進む

『HAPPY』の歌詞の一部

『健康な身体と膨大な知識があればいい』大人はそう願って日々を生きてるけど、心に息づく痛々しい姿の純真な『少年と少女』は、自分の頭で考えて、自分の力で生きる道を探すことでしか歩き出せない。それは『教わらなかった歩き方で注意深く進む』人にしかわからない道だ。虚しい人生をニヒリズムに陥ることなく進むなら、それはどうやっても孤独な道になる。だけど救いがあることを悟った人間に見える世界があってそこにもやはり言葉というものがある。そんな言葉がとてもわかりやすい日常の表現で、この曲の中にたくさん詰まっている。……私は今でも、この曲を聴くと平坦な感情ではいられない。

ただの個人の感想に過ぎないけれど、私みたいな誰かのために、これだけシェアしておきたいと思う。
(曲は昔の楽曲であること、また私自身はライブに行く程のコアなファンではないことをご了承ください。)↓

どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう

『HAPPY』より

……だから音楽は尊いのだ。

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