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私にとっての『ギフテッド』

この特別目立つパーソナリティーを示す語は、世間はともかくここnoteにおいても各自それぞれに解釈しているところがあるのかもしれません。高知能や天才、突出した才能、英才児という基準で判断する方々を始め、複雑で難解な知性や特質を含めて語られることもあり、言葉が持つイメージにかなり広がりがあるようにも感じます。
「HSP」もそうですが、完全客観で診断されるのでなく自己判断による類のパーソナリティー特性は、どうしても言葉の解釈に幅が生じるのかもしれませんね。……それはともかく。

今日私が書くのは「正しい定義付け」などでは決してありません。前も記事の一部で少し触れたのですが、HSS型HSPである私がとても個人的に考えている『ギフテッド』という人々のことです。

私はこの春体験したことを通して、ここnoteにおいて今後なすべきことを見つけました。それについては後日書きますが、それを長期的に果たしていく場合テキストの性質上どうしてもこの語を避けて通れないです。
そこで、僭越ながら〝私にとってのギフテッド〟をこの場を借りて語らせていただきたく思います。あくまでもこれは、当事者ではない一個人の身勝手な見解に過ぎませんので、その点を前もってお詫びしておきます。

私には「実存的うつ」があります。ここに書いたもののことです。↓

この特殊なうつを持つ者にとって、「生きていく」を選択することは喜びであると同時に恐ろしい孤独と苦悩との闘いでもあります。しかしそれでも「生きていける」のは、自分より先に、これを抱えながらも「生きた」存在が確かに居たことを知っているからです。

それは主に歴史の中に見ることができます。過去に実際に生きて、人間としてひときわ価値ある考えや生き方について説き、あるいは作品を通じてそれを表現し、後の世代や人々に影響を及ぼした人々がいます。
その人たちは確かに突出した才能を持っていたと思いますが、際立っているのはそれだけではありません。人としての聡明さ、悲しいほどに鋭い倫理観、社会力学に通じ、信念と哲学を持ち、絶え間なく想像力を働かせ、本能としての創造性を持ち、独創的でユーモアあふれる物事の行い方や話術や言語表現、深みある人間性、善を為すため心で創りだす尋常でない勇気、発想力、行動力などにより目立っています。そういったものが、歴史的な書、あるいは彼らが書き残した物語や表現物の中や生き様に見られます。

出る杭は打たれる──のとおり、彼らの多くのは苦難に堪えており同時代の人々から理解を得られませんでした。誤解や不評を買い、没後何十年もしてようやく世間に認められたといった事例も少なくありません。これは強すぎる共感力と、人間と世界の仕組みを直感的に理解してしまう知的把握力が彼らに独特な言動をとらせ、それが一般の人々には奇異に映ったり難解であったりしたためです。また必ずしも、それらの人々は恵まれた環境に置かれていたわけではなかったからです。

固有名詞は出しません。しかし彼らには驚くほどに共通点があります。その共通点にピンとくるので、少し本を読んだり伝記を知ったり、何かの節に見聞きしただけで「彼らだ」とすぐにわかります。実存的うつを持つ子供の頃から、私にとって彼らの存在は、憂い多き世におけるかけがえのない光でした。荒れ狂う海で、人生という港に自分という船を繋ぎ止めてくれるいかりのような存在でもありました。

実存的うつを経験する人間は、子供の頃(大抵は7、8歳頃かと思います)から、人の歴史の中で彼らの存在を鋭く感知します。その特別な人間性に心を打たれ、その人たちの存在を自分が闇の中を進むための灯火(ともしび)としてきました。これはひとえに、彼らが「生きた証」を歴史に刻んでくれたためです。

現代ならオンライン交流できますから、同時代に似た人間がいると知ることが場合によっては可能です。しかしかつては生身の人間として同じ仲間に出会える機会や場は無きに等しかったのです。それなのに、彼らは「生きて」くれました。貴重なメッセージを表現物で「残して」くれました。

周りには実存的うつを持つ人間はほとんどいません。(年齢や病気により死が近づいたことで、あるいは愛する人を亡くすなど経験的に持つようになる人はいますが、子供の頃から自然に抱える人はほぼいません。)それでも、歴史の中には確かにいたことが、彼らならではの独特な言葉や表現などにより確実に伝わってきます。実存的うつを持つ人間は、孤独に向き合いながらこれを得難い慰めとして受け取り生きることになります。

ギフテッドという言葉自体は私も世間一般の意味で使うことがあります。しかしながら、私がこれまで記事で用いたこの言葉の意味は、また今後書く記事で使う意味とは、このように、後の世代に生きる、善を愛するゆえに苦悩する人間に対して「生きるための道標を示してくれた人間」のことを指していますし、そういう意味を込めて書き続けます。ギフテッドの言葉を知る前も知ってからも私の根底にある想いは少しも変わりません。

このネーミングはおそらく、神から特別な能力を贈られた人、という意味だろうと考えますが、私にとっての『ギフテッド』は、神が人類に与えてくださった人の姿をした贈り物、です。脳に実存的痛みを持つ人間が、生きる選択をし続けるために受け取った贈り物、彼らの存在そのものが人類に与えられたギフトです。

歴史の中にいる特別な存在──現代のギフテッドとは即ちそれに追随する人たち。それが私にとってのギフテッドです。
個人的な解釈についてここまで耳を傾けてくださった方、ありがとうございました。

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