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『HSP』とは何か?(1)─ 日本のHSP解釈のズレ ─

はじめに

シリーズで書くこれは、日本のHSP解釈に対する私個人の違和感からスタートしています。本来あるべきHSP解釈と日本で多く見られるHSP解釈にはどうしても奇妙なズレを感じるためです。
前提として、ここ『note』におけるHSP情報発信について私は日頃関連記事を多く見ないため詳しく把握していません。これから書いていく「ズレ」とは主に、SNSや動画配信を含むソーシャルメディア界隈、および日本で常時開催されているHSP交流会、占いや性格診断のようなノリでHSPを自称する人たちを始めとする世間に広く行き渡っている一般的な解釈、に対するものです。(HSPを病気や克服すべき課題であるかのように扱いHSPビジネスを展開させている医師やカウンセラー及びそれらの利用者については「論外」であるためここでは一切触れません。その辺を詳しく知りたい方には『HSPブームの功罪』著:飯村周平 という本をお薦めします。)

あなたの理解はどの辺りにあるでしょうか?

現在、近似した様々な要素を巻き込んで『HSP』という言葉が使われ広まっている。

まずこのズレの存在を明らかにし、次にHSPの基本知識、さらに深い理解へと進んでいくつもりです。今回の(1)では、ズレの主たる要因と、HSPという心理学概念の概要(あらまし)を示します。今後の(2)以降、更なる根拠や詳細な説明を順を追って書いていきます。

このシリーズ記事をあなたが読むメリットは以下のとおり。

  • アーロン博士による著書の学術的な内容を、イラスト図解を交えて噛み砕いた形で理解していくことができる

  • 日本の多くのHSP発信者がHSPの真の解釈に達していないといえる根拠、なぜこれほど解釈にズレが起きたのか、背景となる要因を探ることができる

  • もしあなたが「生きづらさ」を抱えているHSPならば、HSPの真の解釈を得ることで(つまりこれを読むだけで)、アーロン博士がいうところの『(生きづらさや誤った自己評価から)解放されたHSP』に一歩近づくことができる

またシリーズの後半では、科学的研究と多くの事例から解明され始めたHSPのユニークな能力「4つの感覚知性」についても触れます。これはアーロン博士に続くHSP研究者の研究結果に基づく情報であり、いわばHSPの真骨頂ともいえる(世間でとかく『変な人』『不思議な力』と評されがちな)驚異的能力のことでもあります。読者のあなたがHSPであるなら、ぜひここまで読んでいただけると嬉しく思います。さらに一連の記事のあと「HSS型HSPとは?」の別シリーズへと続けてみる予定です。最終的には純HSPとHSS型ではどこがどう違うのか、この明確な違いまで詳らかにしていけたらと思います。

なお、日本のHSP先駆者である著者による記述が、世間で独り歩きし始めたこのHSP解釈に対しどう影響を及ぼしてきたのか、という点にも触れますが、本を始めHSP情報配信や発言内容の功罪を問うたり何らかの評価を下すつもりは毛頭ありません。私自身は心理学の専門家ではなくカウンセラーの資格を持たないため、当然ながらそのような立場にはないからです。また発信される情報の正誤がいかであろうと発信者側と受け取る側の需要と供給がマッチし互いに意義ある成果を得ているなら、それ自体に何ら問題はないからです。加えて、人の性格(遺伝子が関与する気質の特性)はグラデーションであり強弱、濃淡が存在し、どの辺をもってして「それ」とするか、切り口の差異により表現まで変化してしまうと思っています。ですから発信されている表現の是非を問うたり価値を評価したりしても意味がありません。

この記事シリーズは、私個人が日本で交わされているHSPという言葉の扱い方について、アーロン博士ら研究者たちの著書と比較した上で感じてしまう違和感をもとに、HSPの本質(核の部分)に迫ろうと試みるものです。何の肩書きもない一読者、民間的かつ個人的な研究による一HSP当事者による説明の範囲にとどまるものではありますが、今後HSP理解をより深めたい人の〝何らかの〟助けになれると信じています。

先に進める前に、時間に余裕がある方は、ご自身の現在のHSP理解がどれほどかを測る「理解度テスト」なるものを勝手に作ってみたのでよければ試してみてください‪。
(これらは全てアーロン博士の著書に明記されている記述に基づき、私が独自に作成したものです。なお科学や心理学研究は日々進化していること、そもそも「断定」は避けられるべきものであることを踏まえ、現在の著書の記述と調和している、という意味で捉えてください。)必要ない方は下側の傍線まで飛ばして進み、その後からご覧ください。


HSP理解度チェック:8問

言葉の定義や意味として「正しい」「大体そのように思っている」「おそらくそうだろう」と言えるものに→○、「違っている」「正確とはいえない」「そうは思わない」→✖️のチェックを入れてください。

  1. HSPとは、社会生活の中で人の反応を気にしすぎたり、周囲の細かなことに気づきすぎたりする、人一倍悩みを抱えて生きづらい人たちを指すために生まれた呼び名である。

  2. HSPとは、内向的な人間とほぼ同義である。

  3. 臆病さ、内気さ、引っ込み思案、自尊心が低く自己肯定感が低いなどの性格は、HSPの生まれ持った気質なので、病気のように治すことはできない。遺伝のため変わらないので、一生この弱い性格と付き合うことになる。

  4. HSPの「繊細さ」とは、誰かの小さな言動にすぐ傷ついてしまう非常にデリケートな心のことを主に指している。いわばガラスのハートのような意味である。

  5. HSPとして生まれてきて、喜びと自信に満ちあふれた人生を送っている人はいない。子供の頃からあらゆることをポジティブに捉え、外交的で、自分の性格と生き方に誇りを持って生きている人はHSPとはいえない。

  6. 子供の頃はHSPでなかったのに、後から徐々にHSPになったり、大人になって何かをきっかけに突然HSPになってしまう人がいる。つまりHSPでも子供時代HSC(敏感過ぎる子供)だったとは限らない。

  7. HSPとは、身の回りの些細な乱れや汚れが気に障って仕方ない潔癖症な人、細かなことで気が滅入る神経質な傾向を持つ人のことでもある。

  8. HSPとは、人や物事に対して非常に敏感な態度や反応を見せる人のことである。


回答
すべて✖️です。回答が腑に落ちなかったり、なぜそう言えるのか明確な理由を知りたい方はぜひ続きをどうぞ‪^ ^‬


※この記事内における説明や表現のソースとなる書籍は基本的に以下のものです。また一部、アーロン博士を始めとする研究者たちのHPで公開されている情報もあります。引用については記事内容が膨大になるため、一部にとどめます。断言した表現はソースを基に確認済みのもの、推測的表現は記事筆者による個人的解釈が幾らか入るもの、と捉えて頂ければ幸いです。なお私自身がHSP(厳密にいえばHSS型HSP)であるため、強い実感を伴う当事者による理解であることも念頭に置いていただけると嬉しいです。
また、[★〜]となっている箇所は、完全に私の主観、感想、個人的経験によるものです。

原題は、『The Highly Sensitive Person: How to Thrive When the World Overwhelms You』です。
前記事で引用した『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』の改訳版であり、私自身は両方を読みこれを書くに至りました。
また今後の記事では以下の書籍もソースとします。

原題は『Four Gifts of the Highly Sensitive』[★私個人はHSPを『繊細さん』と呼ぶことに違和感を覚えるため、邦題が好きではありません。]

HSP発信者の意図(日本と博士側の違い)

日本のHSP関連著書、アーロン博士ら研究者たちによる著書、及び世間でよく聞かれるHSPの説明などを比較した上で私が捉えた各発信者たちのメッセージをまとめてみます。おそらく読者の方の受け止め方とさしたる違いはないはずと予想しますがいかがでしょう。


●日本の発信者たちの主なメッセージ

自分への評価を考え過ぎて悩みがちな人、傷つきやすい繊細な人、控えめな性格で自分より他人を優先してしまいがちな人、日常の中で細かなことがとても気になる人、職場や人間関係で気を回しすぎて疲れてしまう人、人と接する際相手の気持ちを考えすぎて自分の本心を押し殺してばかりの人、些細な出来事にも動揺し悩みや不安を感じてしまう人……そのような傾向を持つ人は、この競争社会、自己主張を求められる社会の中でとても生きづらい。──このような繊細な感性を持つ人のことをHSPと呼ぶ。これらの特徴は生まれつきの気質なので変えることができない。HSPは病気ではないのでネガティブな反応から完全に逃れることはできない。だから一緒にHSPの生きづらさについて語り、互いに共感しあったり、この気質と上手く付き合う方法を学んだり、良い点にも積極的に目を向けたりしながら、繊細な人の人生の質を高めていきましょう。

●HSP提唱者アーロン博士のメッセージ

内気、引っ込み思案、内向的、神経症、臆病で気が弱い人──などと評価され社会に対応しづらく欠陥人間かのように扱われてきた、また自分に対してもそのような評価を下し混乱した生き方をしてきた人間の中には、遺伝的に「敏感性」という因子を多く持つ人々がいる。その敏感性の特徴を知ることでこれらの誤った見方を払拭し、有意義な人生を送ってくれることを願っている。世間から間違った呼び名や評価を受けないため、また自分で自分に誤った評価を下さないために、この「敏感性」が人生にもたらす数々のポジティブな影響について知り、過去の間違った評価に基づく記憶を正しい評価へと置き直し人生観を書き換えてほしい。そのための知識やなすべき事柄の手順を熱心な研究を元に書に著したので、HSPはそれを学びとり敏感性の本質を理解してこの特性に誇りを持って生きてほしい。

……私個人が受け取ったメッセージです。両者の「HSP」の定義に大きな違いがあることに気づかれたでしょうか。もう少し短くして比較してみますね。

●日本の発信者側
HSPのネガティブな性格的特徴は生まれつきの気質なので変わらない。生きづらさに共感し合って良い点も探しながら生きていこう。

●アーロン博士側
HSPのネガティブな性格的特徴は誤解された評価であり、生まれついた気質では決してない。遺伝に関わる敏感性因子の特徴こそがHSPの変わらない気質である。これら両者の違いを見分けることで真のHSPを知ってほしい。

何を「変わらない気質」とするか、が大きくズレています。……ここまで読んで、『え、HSPの生きづらさは変えることのできない気質ではないの?』と驚かれた方はいるでしょうか。もし驚かれたのなら、あなたはHSPに対する真の理解に達していない可能性があります。アーロン博士は著書の中で、HSPは誰でも自己の内なる声を徹底的に聞くことでネガティブな解釈から『解放されたHSP』になれると断言しています。では、この遺伝による敏感性因子とは何か? なぜネガティブな側面は生まれついた気質ではないと言えるのか? ひとつずつ一緒に紐解いていけたらと思います。

HSPを正確に説明するなら?

今後HSPと似通った特性(性格的傾向、行動パターン)との細かな違いにまで踏み込み、それらとHSPが別物であることを明らかにしていきたいのですが、まずはHSPとは何か? について大まかに説明しておきたいと思います。

先に書いた『遺伝子が関わる敏感性因子』とは、『SPS因子』のことです。

SPS=Sensory Processing Sensitivity

これはエレイン・N・アーロン博士が発見し研究してきた「感覚処理感受性」(※1)のことです。HSPとはこのSPS因子を他者より多く持って生まれてきた人間そのものを指しています。また、アーロン博士と同時期に研究を行ってきたジェイ・ベルスキー、マイケル・プルースらの研究結果によりHSPは「差次感受性」(=環境感受性※2)を持っていることが明らかになっています。つまりこの二つは、HSPを正確に語る上で〝説明から外してはいけない要素〟だといえるのですね。なぜなら、これらを持つ人『イコール』HSPだからです。

※1:「感覚処理過敏」ともいう。とても似ている「感覚処理障害」とはまったくの別物です。『DOES』の四つの指標で見分ける。
※2:「感受性差」ともいう。感受性差理論として明らかになっている。本来あるべき姿と現状との差に気づく感受性。

HSPとは、『感覚処理感受性』及び『差次感受性』を人より多く持って生まれてきた人間のことだと言えます。良くも悪くも刺激に敏感で、五感から受け取る情報を脳内で処理する領域の仕組みが独特な人たちです。些細な刺激に対しても内面に興奮が湧き起こる高感受性(強く細かく深く感じとる力)を持っているため、物事に圧倒されやすいのです。個々に程度の差や偏りが生じますので、皆が一様にこうだ、と外側から統一して語ることはできません。つまり、HSPはこういう時こういう行動をとる、と表面上の行動を画一化して語るのは間違いです。
基本的にこの気質は、生存適応上、人類の一部が持つことになった、進化にとって必然的な特徴に過ぎないため、本来『マイナス』『プラス』のどちらか一方に強く傾って表現されるべきものではなく、両方に等しく傾く「ニュートラル」な性質なのです。アーロン博士も敏感性がそのように理解されることを望んでいる、と著書の中で述べています。

※「ニュートラル性」と「優れた能力」の関係性は後ほど明確にします。

ズレが生じた要因

HSPは、外部や内部から情報を敏感に感受してしまうため内面に過度の興奮や動揺が起こりやすく人生に困難を覚えることが多いです。一方で、HSPは他者の感情や置かれている状態を速やかに感知するため的確な対応ができ、繊細な感受性や想像力を使い創造的な物事に貢献できる、社会的に有利な特徴も大いに備えており、有用な人間として評価されることも少なくありません。これも生存適応上必要な個体の集まりと言えますので、優劣の問題ではなく、ただそういう「役割」に生まれついているということです。この辺りは後ほど人類のリーダーである二つの階級「王者や戦士のシステム」と「助言者のシステム」の観点から書いてみます。

※人類に必ず起きる性格上の配分=『役割』という意味ではニュートラル、人類の『敏感性リーダーシップを取る助言者階級』という意味では優れた能力をHSPは持っているといえます。

HSPは『繊細さん』なのか?

どうも日本では、(海外のHSP本を翻訳する際にも)HSP=繊細な人、という構図が成り立っているように思います。しかし、HSPの「繊細さ」とは決して傷つきやすいガラスのハート(ひ弱さ、気弱さ、脆弱性といったマイナス要素を持つ傾向)のことではありません。むしろきめ細かな感受性、些細な違いまで読み取ってしまう鋭い感性のことを指しているはずです。また「差次感受性」は人の内面に「強さ」を創り出す源でもあります。※(2)でさらに詳しく説明します。

また日本人には特に多い、生真面目過ぎて融通が利かない、あるいは親や周囲の人間の期待を敏感に察知する、必要以上に周りに気を遣い、何でも先回りして考えて神経がとても疲れてしまう人の気づきの鋭さを「直接的に」指しているわけではありません。しかし、ネット上の説明やソーシャルメディア界隈では主にこのようなマイナス方向へ表れる性格パターンを「繊細さ」と呼んでいる節があります。
このズレが生じた要因に、日本の著者によるHSP関連書籍から受けとるHSPイメージの影響が大きいのではないでしょうか? 著者がというより読者がHSPへの理解に慎重さを欠いたことが要因になっているのかもしれません。
特にHSP概念が世に広まるのに大きく貢献した以下の著書、今ではすっかりお馴染みいわゆる『繊細さん』の中では、外界に向けたHSPの神経システムに大きな焦点が当てられ、そこを軸として身近な生活改善のためのハウツーが細かく展開されています。この本は、HSPとは何か? を徹底的に解説するために書かれたものではありません。著者がアーロン博士による「HSP」という言葉からインスパイアされて名付けた『繊細さん』という枠に入る人々の、仕事や生活の質を高めるのに役立つ本です。つまりHSP解説書ではなく『繊細さん』生活改善ノウハウ本なのです。

会社勤めをする日本人女性(男性も含みます)の中には、細かなことに気づき、周りに気を遣い、自分の責務に真面目過ぎるほど熱心に向き合い、本心を押し殺し他者を優先させ、状況を先回りして考えて気持ちが疲れてしまう人が一定数います。どうして私だけこんなにダメージを受けているのか、なぜ私はこんなに弱いのか、なぜこれほど疲れるのか、と悩み続け状況を打破することができないでいます。

これらはHSPが多く示す特徴であると同時に、HSP以外にも当てはまる性格や行動パターンでもある


これはHSPに関係なく、また男女の区別なく、日本の社会人生活において多かれ少なかれ起きている現象でもあり、特に〝日本人気質〟の強い、気配りの行き届いた人間が抱えてしまう問題でもあります。……なぜここで、これほど日本を強調するかというと、日本は世界の中でも特に「協調性」を重んじ、周りの空気を読むハイコンテクスト文化であり、それゆえに同調圧力が強い傾向にあるためです。加えて生来、真面目で勤勉な性質を持っているため、ややもするとこの性質を過度に発揮する状況が簡単に起き得る環境に置かれています。[★日本人女性を妻に持つフランス人動画配信者が、妻を紹介するとき『うちの妻はとても日本人的で細やかな気配りができる、いわゆるHSPなのです‪^ ^‬』と言っていました。]
この本は、HSPであるないにかかわらず、自分の責務にとことん忠実で、真面目過ぎて自分を追い込み、疲れてしまいがちな気配り型人間の〝心に刺さる〟内容となっています。本のレビューにはHSPとは直接関係がない感想も多く見ることができます。……重ねて言いますが、『繊細さん』がこの本の情報で救われたことは大変素晴らしいことです。その人々の中にHSP該当者が多くいることも想像に難くありません。

確かにHSPは神経システムが独特です(次の記事で扱う『DOES』の特に『O』が強く関わる)。自分の身体の外側の世界に発生する物事、身の回りの出来事と関わる神経の疲弊で悩みを抱えるケースはたしかに多いといえます。ですが、実際のHSPはそれ以外にも自己の内面へと向かう直感力や洞察力、共感力や強い情動的興奮性を抱えており、良い意味でも悪い意味でもこれらの特性から影響を受けています。こちらの側面も、外側と関わる神経の疲弊と同様のレベルで〝浮き彫り〟にしない限り、『HSP』という言葉の定義を決定づけるには不十分だと言えるのですね。

HSPに関わる日本の書籍による表現は、HSP特性グラデーションの薄い色の辺りから切り込んだものです。

SPS因子の正規分布図。因子を少なく持つタイプと多く持つタイプ(濃淡のグラデーション)が発生する。これは心理学的に正しい見方です。

もしあなたがこの『繊細さん』に代表される書籍による説明のみで、自身がHSPであることから起きる世間との相違に〝全て納得できた〟のであれば、おそらく濃淡の薄い側に寄ったHSPなのかもしれません。濃淡とは以下の図のような意味です。

濃い方と薄い方には差分が生じる

日本の著書によるアドバイスは、主に社会人になってから強く違和感を覚え始めるHSPに向けたものが多いと言えます。加えて、仕事や日常生活といった〝外界と関わる際の神経の過敏さ〟に多く焦点が当てられ、HSPが持つ〝深い内面世界の濃厚な部分〟がほとんど語られていません。五感を通して得た情報を処理するさい内側に生まれる直感、視覚的鋭さ、強い感情的欲動、想像力、表現力などの働きにも敏感性を持っている、HSPの『全体像』が浮かび上がらないのですね。

薄い方に寄っているHSPあるいは子供時代の環境に比較的恵まれていたHSPは、子供の頃から妙な違和感を抱きつつも精神的大ダメージ(精神障害に悩む、引きこもり等)を受けるまでには至らず生きてきた場合が多いかもしれません。社会人生活の開始により、自己主張や競争心や効率性が求められる段階にきて初めて強く違和感を持ち要因を探り始めるのかもしれません。『繊細さん』という概念はこのようなHSPにピタリとはまります。
一方、濃淡の濃い側にいるHSPは、ごく幼い頃からSPS因子の強い影響を受けてきました。他者との強烈な違和感を覚えながら成長してきたケースや、(HSPの過半数が辛い子供時代を送ってきたという研究結果から必然的にこうなるのですが)環境による悪い影響を思いきり被ってしまい精神的大ダメージを受けてきたケースも少なくありません。実際数々の精神的問題に対処し、社会生活に困難をきたしてきた人も多いのです。そうした人の中には、HSP概念に出会うより前から知らずのうちに「差次感受性」を発揮して生きづらさの要因を自ら探り始め、対処法を見い出し、敏感性とは知らぬままこの強い違和感に向き合い生きてきた人も少なくないでしょう。ゆえに『繊細さん』で挙げられる考え方や対処法はすでに実行済みであったり、物足りなかったり、本の曖昧な表現に対し上辺をなぞったように感じてしまう人も少なからずいるはずです。──こちらの、濃淡の濃い方の特徴はHSP気質の核の部分です。
アーロン博士の著書及びサイトなどによる発信物では徹底的にこの核部分の特性を掘り下げているように思います。これはいわばHSPの真髄です。書籍に登場するHSPの具体例、体験談、またアーロン博士自身のエピソードから察するに、『繊細さん』に代表されるHSP説明はこの真髄にはまったく届いていないのです。
もし世間全体がこの核部分から距離のあるHSP像をHSPの『実態』として扱ってしまうと、HSPと似通った性質を持つ人たちまで巻き込んでしまい、本来あるべき姿からの「ズレ」がどんどん大きくなってしまうのではないでしょうか。

似た特性との違い

※今回は概要にとどめます。

HSPは多感な時期や環境からの強い影響によりこの状態に陥りやすいと言えますが、これら自体は非HSPにも多く表れる『心の状態』に過ぎず、HSPの生まれ持った『気質』ではありません。その識別の重要さを強調することがアーロン博士の本意。

些細な言葉で傷ついてしまったり、小さな出来事にも動揺したり、人間関係で悩みを抱えがちだったりするのは、HSPをあえてネガティブに評価したときの一側面にすぎません。むしろHSPは豊かな想像力、深い優しさと思いやりに満ちた心を持ち、直感が鋭く、洞察力と慎重さを備えており、静かな場所で長時間ていねいな内省をし、行動する前に隅々までよく考えを巡らし、物事を深く考え、生きる喜びを人一倍じっくりと味わい、あらゆることにおいて細かな違いを感じ取る繊細で豊かな感受性を持っています。──このポジティブな側面からの評価を同時に、同分量でしない限り、公平に語ることができません。いわば同等分のプラス面を知って初めてHSPという概念に対し釣り合いのとれた解釈をした、と言えるのです。HSPは『生きづらい面が多くて大変だけど、実は良い面もいっぱいある』ではなく、もとから良くも悪くもあるニュートラルな特性なのです。長所も子供の頃から直感で感じとっているはずで、本来なら生きづらさに気づいた後から他の誰かに教えてもらうようなものでもありません。強いて言えば、この長所となる特徴こそが「HSPをHSPたらしめている」特性といえるのですね。

ところでこの繊細な感受性と敏感性とは、HSPではない多くの人(非HSP)が、例えば『3』と分類して受け止める物を『10』にも分類して受け止めてしまう……といったふうに、感受する情報の精度の高さ、感度の鋭さ、分類の細かさ、処理の深さを示します。また多く受け止めた情報を内面で処理する際、刺激の多さから影響を受けるため興奮しやすく、良くも悪くも心に動揺や混乱を引き起こします。これは生まれ持った遺伝的要素であるため、社会人生活に入る前から当てはまり──つまり赤ちゃんの時期から特徴的に現れてしまう刺激への内面的興奮性(=高感度、高感受性、EOE)のことです。

内向的な人や芸術家にはHSPが多いと言えますが、彼らとHSPはイコールではありません。つまり内向型人間だからといってHSPとは限らず、芸術を愛する人だからといってHSPとは限りません。逆に、HSPであっても内向型人間とは限りませんし(HSPの中には約30%の割合で外向型人間がいる)、HSPの全てが芸術的才能をいきいきと発揮しているわけでもありません。それでも、共感力と結びついた感情の強さと想像力は非常に多く見られるHSPの特徴だと言って間違いないようです。

また、周りによく気を配る協調性の高い人間(勤勉さ、真面目さ、調和と秩序を好む、誠実さ、正直さ、思いやりの強さ、といった日本の伝統的国民気質……平和と調和を好んだ古代の縄文人から綿々と受け継がれてきた民族的遺伝子が作った文化から受けた強い影響)とも完全イコールではないはずです。さらに重要な点として、潔癖症などネガティヴな意味での神経質、心配症、悲観的、といった性質ともイコールではありません。

いわば長くパーソナリティー分析にて信頼され活用されてきたビッグファイブにおいて、(その内の四つ)

「外向性:外向的か、内向的か」
「神経症傾向:悲観的か、楽観的か」
「誠実性:堅実か、非堅実か」
「協調性:共感力強いか、共感力弱いか」

そのような因子の多さ少なさにより導き出される人間のイメージ像(『内向的で、心配や不安を抱えがちで、真面目で誠実で、思いやり深く優しい』)が、イコールHSPなのではありません。端的に言うと特定の行動パターンを持つ性格タイプのことではない、ということですね。もしこれをHSPとするならば、アーロン博士による「敏感性」の発見は一体何だったのでしょうか? HSPはこのパーソナリティーに新たに付けられた呼び名ではないのです。
HSP気質による遺伝的反応は『内面で起こる』ものなので、外面からは判断がとてもしにくいです。同じ敏感性を持つ人間でも行動パターンが真逆になることはあり得ますし、知識や経験量の違い、生い立ち、置かれた環境などによって行動パターンは様々に変化します。したがって、HSPを特定の行動の癖や生活習慣など外面からのみ語ってしまうと非HSPと見分けが付かない曖昧な領域にまで判定基準が踏み込むことになってしまいます。

長く心理分析により認知されてきた〝一見HSPの特徴だとされる〟パーソナリティー特性と、この『感覚処理感受性』や『差次感受性』との違いを明確に識別するために、アーロン博士は他の研究者たちと共に長年かけて、数百名〜数千名を対象とした様々な実験やインタビューを繰り返し研究を重ねてきました。そして他と紛れてしまわないための識別ツールを編み出しています。四つの特徴に当てはまる人のことをHSPとするという、いわゆるHSP基準を作成したわけです。これが、似通った性格の人たちからHSPを見分けるために現在主に活用されているものです。

次回、そのHSP基準といえる『DOES』の話から始めます。おそらく(2)で『D』と『O』、(3)で『E』と『S』を解説します。また(4)以降では『感覚処理感受性』のまとめ、及び『差次感受性』とはどのようなものかについて、さらにHSPと似た特性との違いをイラストや図も添えながら細かに解説していくつもりです。先に述べたとおり最終的には、純HSPとHSS型HSPとの違いにまで進み、両者の違いを明らかにしていけたらと思います。……この長い道のりを私自身が耐えられるか心配ですが(笑)

世間では良くも悪くもHSP特性の〝上澄みを掬った〟ような曖昧な表現が広がっていますが、HSP気質の底部分に沈んだ〝濃厚なエッセンス〟を正しく掬い取ることで、本物のHSP理解を深めていけたらと思います。

続き↓

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