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黒沢健一さんのこと

健ちゃん。私の中で、別格のミュージシャン。今でも。
他のどんな人や物と比べても意味のないくらいのポジションに、彼はいる。

2016年12月5日、健ちゃんは空へ帰っていった。
悲しいとか淋しいとか思ったけど、一番しっくりくるのは「無理」っていう言葉だった気がする。健ちゃんがいないこの先の時間なんて、無理だ、と。
だけど、そうでもなかった。心の中はぐちゃぐちゃでも、職場ではいつも通りにしてなきゃならないし、家ではご飯も作らなきゃいけない。止まっていられない。曲もたくさん聴いてる。歌うこともできる。結局、彼が生きていたころと同じような生活が、今ではできている。
ただ、この先、健ちゃんの生の歌声を聞ける機会はもうない。なんかこれだけはどうしても、まだ、無理だなぁと思う。

難しいことはわからない。ポリスター時代がどうの、ポニキャニ時代がどうの、L⇔Rが、ソロが…様々な比べ方があるんだろうけど、私はそんなのどうでもよくて、ただただ、好きだ。あ、SCIENCE MINISTRYだけは聴いたけどよくわからなくて、1回再生したっきり。健’zも、洋楽を全く通ってこなかった私にはあんまりしっくりきてない。だから盲目ってわけでもないんだ、健ちゃんがすることなら何でもいいってわけじゃなかったんだな、と自分では思ってる。ちょっとそのことにホッともしてる。

献花の会は行かなかった。現実を感じてしまうのが怖くて行けなかった。距離や仕事を言い訳にして。でも後悔はしていない。当日、お昼くらいにネットに上がってきた写真を見ただけで、もしあの場に参加していたら膝から崩れ落ちてしまう自分が想像できた。だから、これでいい。

noteに登録して一番最初に、『歌う彼女』というショートストーリーを書いた。
この話に出てくるクルミちゃんは、私の一部だ。健ちゃんがこの世に産み落とした音楽を、1日でも長生きさせたいと願う、私の分身。
彼女のようにギターは弾こうとはしていない。ただ、ヴォーカル教室の発表会で、先生にギター伴奏とコーラスを手伝ってもらって、2人で『LAZY GIRL』を歌うことは決めてある。練習中だ。この練習が笑っちゃうくらいに楽しい。ずっと口角が上がりっぱなしで顔が疲れるくらい。先生には、今年は健ちゃんが作った曲でレッスンしていくからと宣言済み。できることなんて小さなことだけど、健ちゃんが遺してくれたものを大切にしていきたい。

このテーマをどう閉めたらいいかわからないけど、これからも私はずっと、健ちゃんと一緒だ。

皆さんの『スキ』や『サポート』が、私とこのアカウントを育ててくれる源になると感じています。よろしくお願いいたします。