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「星の王子さま」を



久々に読んだら、とてもぐっときて泣きそうになった。

とくにゆっくり反芻したところ。
以下引用。(『星の王子さま』内藤濯訳・岩波書店)


友だちを忘れるというのは、かなしいことです。
「トゲは、いったい、なんの役に立つの?」
「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、そのひとは、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ」
「ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた。だから、ぼくは、どんなことになっても、花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。(略)だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことが、わからなかったんだ。」


とくにこの王子さまの言葉。

芦田愛菜ちゃんの「信じるということ」についての発言が話題になっていたけれど、広く通ずるところがあるなと感じた。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」(芦田愛菜、「星の子」の完成報告イベントにて)

だれかを「信じる」「愛する」ってことは、なにがあってもそのひとから「逃げない」ということ。「してくれない」より「してくれた」ことに目をむけること。

大好きだった上司に言われたことばも思い出した。

「自分がやったことで、相手に見返りを求めちゃいけない」

期待するから、裏切られたと思う。
そのひとはただいつもどおりにしていただけなのに。
忘れないようにいたいと思う、いつも。


王子さまと花(バラ)との関係は、「ぼく」にも影響をあたえる。

この王子さまの寝顔をみると、ぼくは涙のでるほどうれしいんだが、それも、この王子さまが、一輪の花をいつまでも忘れずにいるからなんだ。

だれかを一生懸命に想うことの尊さ、美しさはなににも代えがたい。
それが自分にむけられた「好き」でなくても、心が動かされることがある。



最近は本当にかなしいことが多くて。
いろんなことをきっかけに自分の趣味嗜好が変わっていくのを実感している。だけどこうして昔読んだお話をふりかえって、新たに気づくことや改めて感じること、まだまだたくさんあるな、と思うとほっとする。自分を確認するみたいに。

じわりと胸が温かくなるこの感情をだいじにしたい。


「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ」
「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」

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