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古典の勉強のコツを体験的に感じるー『枕草子』「すさまじきもの」を通してー

 古典の難しさ、特に高校一年生の後半以降から難しく感じる理由を体験的に書いた記事です。古典が好きな人は難しい点を知ることでより楽しめるように、古典が苦手な人は少しでも理解できるようになるために読んでもらえたらと思います。今回の本文は『枕草子』の「すさまじきもの」の一部です。「すさまじきもの」は割と有名な部分なので、知っている人も多いと思いますが、だからこそ今回の話題にはうってつけと言えます。まずは本文を見てみましょう。サラッと読むことを意識してください。難しいと感じたら難しいままとにかくサラッと読むことを優先してみてください。

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本文
 除目に官得ぬ人の家。今年はかならずと聞きて、はやうありし者ども、ほかほかにありつる、片田舎に住む者どもなどみなあつまり来て、出で入る車の轅も隙なく見え、もの詣でする供にも我も我もとまゐりつかうまつり、物食ひ、酒飲みののしりあへるに、はつか暁まで門たたく音もせず。「あやし」など耳立てて聞けど、前駆おふ声声して上達部などみな出でたまふ。もの聞きに宵より寒がりわななきをりつる下衆男など、いとものうげにあゆみ来るを、をる者どもは問ひだにもえ問はず、外より来たる者などぞ「殿はなににかならせたまへる」など問ふいらへには「某の前司にこそは」とかならずいらふる。まことにたのみける者はいみじうなげかしと思ひたり。つとめてになりて、ひまなく居りつる者もやうやう一人二人づつすべりつつ出でぬ。ふる者のさもえ行きはなるまじきは、来年の国国を手ををりてかぞへなどしてゆるぎありく、いみじういとほしうすさまじげなり。

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この本文は何となくわかるけど、何となくわからないとなる部分が多いと思われます。実際、補わないといけない部分や知識がないと分かりづらい部分が多く、うまく補えなかったり知らない知識があったりすると少しモヤモヤが残る感じがすると思います。このモヤモヤが増えてくると分かりづらくなり古典が難しいと感じさせてしまう原因となっています。実際にこの本文をある程度正確に理解している人がどのように見えているかをわかりやすくするために、訳では補わないといけない部分は〔 〕で、知識が必要な部分は【 】で説明を足しているので、どこまで読めたかを確認してみてください。

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訳 
〔 〕内は補わないとわかりづらい部分
【 】内は知識等が必要で言い換えや説明を付したもの

除目に任官できない人の家〔も、期待はずれで面白くないものの一つである〕。今年はきっと〔任官なされるであろう〕と聞いて、以前この家にいた人【仕えていた人】たち、あちこちばらばらに他所にいた人たち、片田舎に住んでいる人たちなどがみな集まって来て、出入りする牛車の轅を置く隙間もないくらいで、〔任官祈願のために〕神社仏閣にお参りするお供に我も我もと従ってお参りし、〔前祝いに〕物を食い、酒を飲んで、大声で騒ぎ合っているのに、夜明けまで門をたたく音もしない【除目の会議が終わる夜明けになっても任官を告げる使者は誰も来ない】。「おかしい」など聞き耳を立てているが、前駆の先払いする声々がして〔除目に立ち会った〕公卿たちがみな退出なさる。様子を探り聞くために前の晩の早くから寒がりわなわなと震えていた身分の低い男などが、たいそう気が進まない様子で歩いてくるので、居合わせた人【前から仕えていた身分の低い人】は気遣って声をかけることすらできないが、外から来た人などは「主人は何の官におなりになりましたか」などと尋ねるが、〔任官されなかったので〕その返事には「某国の前任の国司に」と〔前任の役職を〕必ず答える。〔この家の主人を〕心の底から頼みにしていた者はたいそう嘆かわしいと思っている。早朝になって、隙間もなく居た者も次第に一人二人ずつ静かに席を外しながら退出していった。古くから仕えている者で、そうそう見捨てることもできない者たちは、来年〔闕官になって空く〕国々を指を折って数えるなどしてからだを揺り動かしながら歩くのも、たいそう気の毒で興ざめな様子である。

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このように補う必要な部分が多いことがわかります。特に、除目は昔の人にとって重要なイベントだったという点を知らないと夜ふかしして騒いでいるという雰囲気も分かりづらいかと思います。除目は一家の盛衰に関わるため多くの人にとっての関心事であり、家の主人がエリートコースに乗れば安泰となるため仕える人々にとっても重要な出来事だったのです。だからこそ、本文に出てきた主人には知らせが来なかったため、主人も仕えも一気にトーンダウンしていき、その様子が「すさまじきもの」だと評されているわけです。
 ただ古典の理解はここで止まりません。さらに深掘りすることでもっと見えてくることがわかります。例えば、「宵」や「あかつき」という表現が使われていますが、古典の世界では夜を「よひ」、「よなか」、「あかつき」と分けています。つまり、宵からあかつきまで騒いでいる本文は日が沈んでから日が出る頃までずっと騒いでおり、現代で言えば年越しのようなお祭り騒ぎであるということが見えてきます。
 それ以上に細かい知識としては「をりつる下衆男」や「居りつる者」などで使われている「をり」です。ラ行変格活用で有名なアレですねと思った方も多いと思いますが、「をり」には特別な意味があります。他の存在を表す後に比べて、「自分に対して使ったら卑下、他人に対して使ったら蔑む用例が多い」という特徴があり、いかに身分の低い主人であったかが強調的にわかります。身分の低い家ということをわざわざ強調していること、さらには「ふる者のさもえ行きはなるまじきは、来年の国国を手ををりてかぞへなどしてゆるぎありく、いみじういとほしうすさまじげなり」でこの一節を締めていることを考えると、この一家はあまり現在も良い役職につけておらず、今回の除目での転機を狙っていたのではないかと推測できます。ただそのような一大転機を逃して塞ぎ込んでいる姿、家の暗い雰囲気などを指して「いとほし」という感情を抱きつつも「すさまじげなり」とまとめていると考えられるのです。
 このように知識によって一層見えるものが増えるのが古典の特徴なのです。現代とは違う文化、風習があり、それらをまとめて古典常識という単語で学ばされますが、より深く作品を理解するには必要な内容とも言えます。ただこのような知識が現代文では必要ないかと言えば、評論文ではテーマやキーワード、小説では当時の時代背景や作者の背景も影響しており、やはり知識があることで見えてくることが多いのです。高校一年生の授業で、活用表を書く作業が主流になり、品詞分解ができ、大事な説明がついた部分の訳を覚えたら点数が取れてしまうのが現状の古典教育の難しいところであり、その後に学ぶ、背景が必要になる平安時代全盛期の古典群で苦戦してしまうのは仕方がないように思えてしまいます。そもそも、古典文法をただ暗記するだけの作業に対して関心が持てないと点数すら取れないとなることも多いかもしれません。ただ古典の醍醐味は文化や風習を知ることであり、古典文法を正確に暗記していることではないのです。その点を意識して古典を捉え直せると少しは古典を楽しめるのではないかと思って記事にしてみました。
 古典の雑話は今後も不定期ではありますが挙げていく予定です。特に古典文法のただの暗記ではなく少し覚えやすくなるような技なども紹介できたらと思っています。それではまだ次回の記事で。

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