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「〜です。なので、」で有名な、「なので」の文頭の用法について

昔書いたレポートを記事に変えたものです。専門的な内容も含むため、「なので」の表現について知りたいけど、難しい話はちょっと…という人は「3、まとめ」だけを読めばおおよその中身がわかるようになっているので、そちらを読んでみてください。要は「なので」は誤用と単純に言えない理由をくどくどまじめに書いている文章です。

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1、はじめに
「ので」は通常、(1)のように文中で使われ、原因・理由を示す接続助詞として機能する。

(1) 和食が好きなので、今日はA定食にします。

このような「ので」は益岡・田窪(1993)にあるように、述語の基本形・タ形、連体形に接続するものである。そのため、「なので」は前提として直前に形容動詞の語幹か名詞が存在することになるので、文頭において使う用法、すなわち「~。なので、…。」という文は本来、誤文として認識されても良いのだが、日常的な会話では良く見受けられるだけでなく、誤文だと思っている人がそもそも少ないように思われる。実際、『問題な日本語』においても取り上げられており、「なので」の項目を担当した矢澤(2004)によれば、接続詞化として使われ始めたことにはしかるべき理由は存在するものの、現時点では違和感を感じる人もいる新しい用法であり、使用には注意が必要なものである。このように、「なので」は文法規則に基づけば、誤文と認定されるはずのものであるが、実際は違和感なく使われており、将来的には正用とされる可能性が十分にあり得る用法と言える。そのような「なので」はなぜ誤用と認識されづらいのか、またなぜ文頭用法が生じたのかという2点を明らかにするために、まず先行研究の記述を参考にし、「なので」の文法的な特徴を整理したうえで、現代日本語書き言葉均衡コーパス少納言(以下、BCCWJ少納言)を用いて使用実態を分析していく。

2、先行研究の記述―「なので」の用法
 先にも確認したように、益岡・田窪(1993)によれば、「ので」は述語の基本形・タ形、連体形に接続するものである。そのため、次のような文が可能であるが、今回対象とするのは(2)のような「な」が伴うものである。

(2)“語り”なので乱暴ないい方になっているが、(岡庭昇/メディアの現象学)
(3)勉強したので、8割は取れる。
 (4)お金がないので、貸してもらいたい。

阿部(1985)によれば、「ので」は活用語の連体形に接続し、順接の確定表現を示すものである。また、①因果関係を示す、②後句で依頼・勧誘・命令などの主観的叙述をする際、その条件となる事柄を前句に述べる(5)、③文末に来て終助詞的に用いられる(6)という3つの用法がある。
(5)明日参りますので、例の品物を用意しておいてください。
(6)「たゞ今のやうに言つて見たいので」(国木田独歩・牛肉と馬鈴薯)

 また、永野(1969)によれば、

(1) 原因・理由・根拠・きっかけを表わす。前件と後件とが、原因・結果、または理由・帰結、きっかけ・結末などの関係にあることが表現者の主観的判断によらなくても明白な事実であるような場合に多用される。したがって、条件としての独立性は「から」よりも弱く、結果や帰結をさきに述べてから「のでだ」「のでです」の形で原因・理由を補足的に述べる用法はない。
(2) 後件が依頼・勧誘など、表現者の主観に属する事がらである場合でも、丁寧表現の際は、「ので」を使うことも多い。

という2つの特徴を持つものである。さらに、類似する「から」と比較すると、「ので」は事がらのうちにすでに因果関係にたつ前件・後件が含まれていて、それをありのままに、客観的に描写する場合に使われるものであり、主観の責任がないという意味あいのものである。
 同様に「から」との比較をしている、森田(1980)によれば、「ので」は確実性をもった条件と言ってよいものであり、話し手の主観以前にすでに存在する因果関係で、その全体を1つの事態として客観的に把握し叙述する形式でもある。それに対し、「から」は話し手の判定が生じたことを叙述するものであり、また倒置しても順序の不自然さを感じさせないものである。さらに、「ので」は不確かなことや話し手の心の状態は現れにくく、後続句に命令の表現が来づらい。また、「ので」の変形である「で」(完了後の言い訳を表すもの)や慣用表現の「というので」の代わりに「から」を用いることはできない。
 最後に、矢澤(2004)は「なので」が使用されるようになってきた要因として2つのものを挙げている。1つは「から」と「ので」の違いに注目し、客観性の高い「ので」を使うことで、「だから」の理由をごり押しする感じと、「ですから」の畏まり過ぎる感じの間に相当する表現ができるからというものである。もう1つは「だから」と「なので」のそれぞれの語頭の「だ」と「な」は同じ断定の助動詞であることに触れ、「だ」がつく接続詞の多さに対し「な」がつく接続詞が少ない特徴を挙げて、接続詞化しつつある「なのに」と同様に「なので」も接続詞化しているというものである。

 このように、「なので」の語頭用法が出てきた要因としては、既存の表現では表現しきれない領域を表現するために「から」と「ので」の違いに基づいて用いられているとともに、「な」形接続詞の増加によるものであるということが言えそうである。
 しかしながら、使用実態に触れた研究は少ないという点を考慮すると、要因はその他にも存在する可能性は十分にあり、また「だから」や「ですので」との比較も行っていないので、表現できない領域を埋めるための表現であるかは断定しがたい。

2、BCCWJ少納言を用いた分析
 本節においてはBCCWJ少納言を用いた分析を行う。今回の調査において重要なのは一般的な「なので」の用法ではなく、「。なので~」という文頭の用法であるので、BCCWJ中納言よりも少納言の方が向いていると考えた1。また、今回は検索対象からYahoo!知恵袋とYahoo!ブログは除いている。

1)「。なので」の使用実態
 「。なので」で検索すると、49件と少ないが存在する。なお、除外したYahoo!知恵袋とブログを加えると2000件以上となるので、会話文に近い文章であればあるほど使用頻度は高まるようである。しかしながら、「。なので」と検索すると、若干ではあるが「なのですが」といった、「なので」以外の形式も見られたので、47件の文例を考察する。
 文例を見ていると、前文脈が明らかに口語調とわかるような体言止めや丁寧語などが見られるタイプと、文語調とみなすこともできるタイプの2種類が存在し、また後文脈も前文脈に対応するような形で口語調の文と文語調の文が見られた。
 たとえば(7)は丁寧語―丁寧語、(8)は体言止め―体言止め、(9)は終止形―終止形、(10)終止形―終止形というタイプのものである。

 (7)レシーブやアタックでは、まだ力が及びません。なので、明日はサーブで点数を取りたいです。(染谷幸二/教室がシーンとなる”とっておきの話”100選)
 (8)寝坊して朝食は抜き。なのでランチはボリュームたっぷりのトンカツ定食。(吉良幸恵ほか/Tarzan)
 (9)星の降る夜の散歩は楽しい。なので、つい、散歩のお供に言わずもがなの質問をしてしまう。(黒川伊保子/一冊の本)
 (10)もちろん女性向け雑誌のライターとしては無名扱いである。なので、厳しく注意されたのだ。(麻生玲子/眠る体温)

文脈も限られた範囲しかなく、表現も口語調でも文語調でも使えるものが多いので、明瞭に区別がつけられないが、口語調が強くないものをここでは文語調として判断する。(7)と(8)は明らかに口語調が強いものであり、このような丁寧語や体言止めやムード(「よ」「な」)を伴っているものは文例の大半を占めている。それに対し、(9)や(10)のようなそのような表現のない終止形のものは挙げたもの以外では2つしかなく、その差は歴然としている。しかしながら、限られた文例であるものの内容的には文語調と明瞭に判定できるものは少なく、主観性の高いものや、口語調として一括りにしたタイプと形式以外には違いが認めづらいものもある。たとえば(11)はどちらも終止形で形式上は文語調と言ってもよいかもしれないが、口語調と捉えることができるものである。

(11)だからといって膿をシャワーで流して下水がつまってしまったらまずい。なので、シャワーは我慢した。(西牟田靖/世界殴られ紀行)

このことから、「。なので」は明瞭に文語調のものでは出づらいと考えられ、口語調の文体での使用が高い表現と言える。この点は先行研究の指摘しているものであり、使用実態も同じと言える。
次に「から」との違いとして主観性と客観性を挙げている先行研究の示唆をもとに客観性の強い文が多いのかどうかを検討すると、(7)~(11)の中で(10)以外の文は主観性の方が強いと判断できるもので、「ので」本来の客観的で主観的な判断は介在しないような意味とは程遠い。そのため、「だから」に置き換えも十分に可能なものが多く、主観的・客観的という分類は通用しないと考えられる。
実際、「。だから」の文例を見てみると、(12)や(13)のように客観性が比較的高い文が存在する。

 (12)NHKテレビにはコマーシャルがない。だからNHKだけ見るという人がいる。(山本夏彦/世は〆切)
 (13)ハゼの研究というのは功利的ではないので、研究者も少ない。だからこそ、純粋な研究であり得たのである。(松崎敏彌/明仁天皇陛下)

これは「なので」は正用ではないことに由来すると考えるべきであろう。「だから」は正用として使われている表現であるのに対し、「なので」は「だから」ほど正用としての地位は確立できておらず、主観的な判断も客観的な判断も「だから」が受けざるを得なかったと考えられる。「そのため」や「ゆえに」なども存在するが、これらは文語以外では使いづらく、「だから」のように口語でも用いることができる語ではないので、「だから」は口語と文語の両方において主観的なことも客観的なことも表現するために使用されていたと言える。
 つまり、「。なので」の用法を考える上で、主客の判定は有用でないことは使用実態から明白と言える。では、「。なので」が正用化しつつある実態を正確に捉える観点とは何であるかということになるが、矢澤(2004)で挙げている、表現の領域に関する問題は1つの有効な視点と言えるかもしれない。
 (7)~(11)の中で主観的な文がほとんどであったが、帰結節の内容を見ると、(8)は「ランチはボリュームたっぷりのトンカツ定食」、(9)は「つい、散歩のお供に言わずもがなの質問をしてしまう」、(11)は「シャワーは我慢した」となっており、これらの内容は全て主観性が強い内容であるという以前に、客観的にみるとあまり肯定的な評価できる内容ではないと見える。たとえば(8)の文の出典はTarzanという健康増進やダイエットに関する雑誌ということを考慮して先の帰結を見直すと、「健康やダイエットの観点から見ると、トンカツ定食を食べることはよくないことだが、朝食を食べていないので、ランチはボリュームたっぷりのトンカツ定食も許される」という文として捉えなおすことができる。(9)でも「いわずもがなの質問」と言っているように、「本来なら不要なものだが、星の降る夜は楽しいので、質問をしてしまう」と見ることができ、(11)も「シャワーを浴びないのは不衛生で好ましいと思えないし、まして膿が出ているのに不衛生なままではよいわけはないのだが、下水がつまってしまったらまずいので、シャワーは我慢した」とみなせる。
 このように、意味を少し付加してみると、表現できない領域の意味内容が見えてくるのではないだろうか。つまり、「客観的にみて問題のある行為、あるいは自己主張の強い行為をするのは重々承知しているが、その行為を許容できる客観的な理由もあるので、行為を許可してほしい」という他者への働きかけを表現できるのである。「だから」が我が強いように感じる要因は主観性に基づく原因を表すということもあるが、次の(14)と(14’)を比べれば直観的にも分かるであろう。

 (14) みんなが持っているんだよ。だから、このおもちゃ買ってよ。
 (14’)*みんなが持っているんだよ。なので、このおもちゃ買ってよ。

子どもが発話する表現であるという前提としたときに、「なので」が相当に言いづらい文となるという点が「なので」の特徴と子どもの属性が一般に一致しないように感じるからである。これは役割語として分析することもできるかもしれないが、ここでは深く立ち入らず、子どもにあって大人にない特徴で、「だから」の意味と接点がある部分は、我の強さ、言い換えれば主観的な世界のみで物を語るということではないだろうか。つまり、「だから」を用いることは主観的な世界での語りであるという点が強調される状況もありうるわけであり、帰結において強く主観的な考えなどが表明されている場合は「だから」が好まれるのであろう。
ただし、「だから」には原因・根拠を示す度合いが希薄な用法もある2ので、単純に「だから」は主観の原因を示す語とは言えない。また既に見たように正用として確実な地位を持つのは「だから」であるので、客観的な発言をするときにも「だから」が用いられる可能性はある。しかしながら、「だから」が正用という原則以外の要因で選択が好まれる状況を役割語という観点が示唆するという点は見逃せない。

2)「なので」と「ですので」の分析
 「だから」と「なので」の違いは見たが、「ですので」との比較は行っていないので、両者を比較する。辞書などの記述を見れば、例えば『明鏡国語辞典』の記述を見れば、「ですから」の説明として「だから」の丁寧な言い方とある。辞書には正用とはまだ認められていないため、「なので」と「ですので」は存在しないが「だから」と「ですから」の関係を援用すれば、「ですので」は「なので」の丁寧な言い方と見なしてよいであろう。そこで、「ですので」と「なので」の違いが存在するかを確認する。つまり、「ですので」と「なので」の関係は単純に丁寧な言い方と通常の言い方と見なせるかを検討し、「なので」の特徴を明らかにする。
 「ですので」の文例は17件と「なので」よりも減る。件数が少ないものの、前後の文脈を見ると、後文脈については文末まで表示されず判定できないものもあったが、1件 (後文脈が「、なるべく彼と一緒にいること」と体言止めになっている) 以外丁寧語を伴っており、「なので」との最大の違いとも言える、丁寧な言い方であるという点は間違いなく持っていると言える。

(15)Unixエミュレータというわけではありません。ですので、Unixとまったく同じ動作というわけではありません。(中村繁利ほか/Cygwinを使おう)
 (16)男性の場合は異性と交際できないんです。ですので、引きこもりの男性は治さない限り、結婚して子供を持つ可能性はないと思います。(池上正樹/「引きこもり」生還記) 
 (17)女性は、メールや電話でのやりとりの期間を長く持とうとする傾向があります。ですので、その間が勝負です。(マーチン/”相手の気持ち”を離さない秘密の恋愛ルール)

 (17)は少し判断しづらい点もあるが、(15)と(16)には客観的な側面があるものの、「なので」で見たような許可を求めるような働きかけは見られない。このような傾向は他の文例でも見られ、明らかに「なので」の丁寧語である以上の違いがある。つまり、「ですので」は「なので」のように許可要求をする用法を持っていない。

3、まとめ
 「なので」の文頭用法は「だから」や、丁寧な言い方である「ですので」とは異なり、主観的な希望・願望の対象である行為を客観的な根拠を提示することで相手に許容を求める、許可要求が用法として存在する。この点で単純に「から」との違いである、主観的判断が伴うか、客観的な判断のみかという分類だけでは説明できない。また、「だから」には、役割語の観点から見ると、子どもの使用することが積極化されるような強い主観的な願望の用法も存在し、「ので」は客観的で、「から」は主観も含むという二項対立の図式が強調されるときに正用ではない「なので」が使用される可能性が生じたと言える。つまり、「だから」の元にある「から」が持つ主観的な判断を示すという部分を強く捉え、その「だから」の主観性とは異なり、「ので」が持つ客観的な判断を示すという部分を利用して、主観的な願望を示すのを客観的な用法で弱化していると考えられ、「なので」の文頭の使用には前件(根拠・原因を示す節)よりも後件(帰結を示す節)の影響を受けて使用されるようになったと考えるべきである。ただし、そのような用法は顕著な特徴であって全体を説明するものではないため、「なので」の成因の1つとして考慮すべきであるという点で留めておきたい。なぜなら、もし「なので」の成因がこの用法によるものだけであるならば、その丁寧な言い方である「ですので」にも少なからず同様の用法が存在しても良いが、分析対象の中には1件もなかったからである。しかしながら、「なので」は「だから」や「ですので」や「ですから」では表現できない表現を持ちつつある。他の語では表現できない意味を持ち始めたことで、「なので」の文頭用法が使用しやすくなり誤用とは感じづらい状況ができつつあると言える。

4、課題
 「なのに」との違いとして「ですのに」は相当違和感があるのに対し、「ですので」は「ですのに」ほどの違和感はないという点があり、「な」系接続詞としての関連を観察し切れていないことが1つ挙げられる。


1「。なので」や「。だから」や「。ですから」といった形式で文字列検索を行った方が、ゴミが出づらく、対象とする文例を収集しやすいと考えたからである。また、件数を問題とする数量的な研究でもないので、正確な数値よりも対象とする文例を確実に検索することに重きを置いた。
2『明鏡国語辞典』には「だから」は「相手の発言に対して反抗的な気持ちを示す語」という用法も記載されている。



5、参考文献など
文献
・阿部八郎(1985)「2 接続助詞」鈴木一彦・林巨樹(編)『研究資料日本文法第7巻助辞編(三)助詞・助動詞辞典』明治書院。
・金水敏(2003)『もっと知りたい!日本語 ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店。
永野賢(1969)「十五から―接続助詞<現代語>」松村明(編)『古典語現代語助詞助動詞詳説』學燈社。
・永野賢(1969)「十六ので―接続助詞<現代語>」松村明(編)『古典語現代語助詞助動詞詳説』學燈社。
・益岡隆志・田窪行則(1992)『基礎日本語文法―改訂版―』くろしお出版。
・森田良行(1980)『基礎日本語2―意味と使い方』角川書店。
・矢澤真人(2004)「なので」北原保雄編『問題な日本語』大修館書店。

辞書
・北原保雄(編)(2002-2010)『電子辞書版 明鏡国語辞典』大修館書店。

サイト
・BCCWJ少納言


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